管理人メモ 2010年3月〜4月        
異常に暖かい日が続き、もうこのまま春なのかと思った途端に寒気が入り、春の空もまた
移り気だなぁとため息をついております。でも、あと少しの辛抱、あと少しだけがんばろう!
3月9日(火)
別れの季節
                       別れの季節

    ファイナルテニスクラブは1992年に立ち上げたことは前に書いたけど、それ
    から毎月
「Final's」なる機関紙とは名ばかりのスケジュール表を発行し、その
    余白に いろいろ気付いたことなどコメントを書き入れていました。
    棚を整理していたら偶然、そのファイルが出てきて、昔の俺はいったい何を書
    いていたんだろうと思い、飛び飛びに3月のみをめくっていたら、1997年版にこん
    なのがあった。

   「この時期、強い風の洗礼をうける度に、また1年が巡ってきたことを知る。
  年々、この風に対する耐性が衰え、ひどく疲れる。かくして私も一つ歳をとったこと
    を思い知らされる。そろそろリタイアかなぁ・・・。でも、こういう時、例えば Kさんの
    姿が頭をよぎる。私より20以上も先輩で、あの向上心だ。頑張らねばと思う。少し
    暖かくなれば、「なんとかなるさ」という気になるに違いない。」さらに続く・・「ファイ
    ナル創設時からのメンバー SさんとNさんを県外に送ることになった。大きな痛手
    である。この傷はなかなか癒えそうにないが、今は笑顔で送り出そう。彼の地で
  もテニスを続けてください。そして願わくば、このタフで渋いコートと我がファイナル
  をたまには思い出してください。」(当時は錦町のかなり起伏に富んだ吹きさらし
  のクレーコートがクラブのメインコートだった)

    これはもう13年も前の自分のコメントである。なんとまるで今日書いたような
  メモである。永劫回帰とはちと大げさだけど、ほんとに毎年毎年、忘れずに季節
  は巡る。
    去年は Mさん夫妻や I さんらを送り出し、今年もまた Wさん夫妻らが宮崎を
  離れられるそうだ。毎年、何人ものメンバーが去って行かれる。さびしい限りだ。
   どうかファイナルでの思い出が、いいものであってほしいと願うのみである。

3月10日(水)
桜吹雪かと
                   桜吹雪かと思ったら・・・

   雪だよ。コートの上を真横に飛んでいく・・・
  3月に宮崎で雪だなんて、ぼくの長くて短い人生では初体験じゃないかな。
  しかも唸りをあげる強風。
   今日は誰も見えないだろう・・・と思っていたら、車が1台入ってきたよ。
  Mさんだな、さて、本日はどうなることやら・・・2台目のお成り〜・・・おやおや
  3台目も・・・・・。ついに5台、すごいな皆さん、すごいなテニス。
 
   3月7日のスポーツ祭予選で、市テニス協会2009年度の行事はすべて終了。
  ふっと宮崎市テニス協会なんて本当に必要なのかな、と思う。
  大阪の橋本知事が、府市統合なるものを唱えている。行政のことはよく分から
  ないけど、県の3分の1以上の人口を有するまでになった宮崎市に、県の組織と
  は別にわざわざいろいろな市の協会が必要なのかなぁ、というのが正直な感想。
    大会もたくさんあるし、ジュニアやその他の行事も、十分にあるように思える。
  ゆっくり考えたいけど、待ったなしに2010年度が始まってしまう。
  
    宮崎市テニス協会はかくあるべし・・・なんて構想をしっかり持っている方が
  運営すべきだとつくづく思う。僕は不適任、能力も気力・体力も資格もなし・・・。
 
    ほぼ同世代の O会長の入院で、多少、気弱になってるかなぁ・・・1日も早い
  ご回復を祈ります。
3月19日(金)
偏光フィルター
                      偏光フィルター

    先日、寒い日の午後、クラブハウスの中から外のコートを見ていたGさん
 
 「ガラスが反射してコートがよく見えんね・・・」と言って、頭を傾けている。
   「カメラなら偏光フィルター付ければいいけどね」と私。
   「どう見えるのが本当の景色かな?犬なんか見え方が違うというし」とGさん。
  
  「いやに哲学的な話になったね」と私。
   
     そう、今見えているものが、本当に見えたままのもので、あなたと私とが
   同じように見えているかどうかは確かではない。
    ましてや、その本当の姿はどんなものか、それを説明するのは不可能だと
   思う。言葉で説明しようとすれば、言葉のフィルターがかかる。

    僕らは必ずフィルターを通してしかモノが見られず、モノそのものを見る
   ことはできないのだと思う。だから、もしお互いの信頼関係がなければ、何事
   も進まないはずだ。


    大雑把なようではあるが、直感的な信頼感というのは、人間関係においては
   結構大切な要素だと思う。
     そうは思うけど、一方では、言葉を尽くしてお互いのフィルターをできるだけ
   近づけていく誠実な努力をすることは、さらに大切なことだとも思う。
     お互い、多分違うモノを見ているのかも知れないと思えば、そうキレることも
   無く、丁寧な会話が成り立つのではないだろうか?

3月31日(水)
フィルター2
                         フィルター2

     皆さんにシングルスを楽しんでいただきたい、気軽に練習感覚で参加していた
   だきたいと常々思っています。そういう思いだけで、K7(計7ゲーム)というのを
   でっち上げたのですが、イメージもはっきりしないままのトライアルでした。
     皆さんは懸命にゲームに取り組んでおられたので、救われた気持ちです。
     小林大輔氏のパフォーマンスにも、かなり救われましたし、大変な時期快く参加
    してもらった山口コーチにも感謝、お陰で盛り上がったと思います。

     次はいつできるか分からないけど、マジではあるけれど、結構楽しいファイナル
   らしいトライアルにしたいと思います。
      
     さて、前回のメモの最後の方で、「お互いのフィルターをできるだけ近づけていく
   誠実な努力をすることは、さらに大切なことだとも思う。」と書いたけど、読み返して
   みて、無理だよな・・・と、少し気になっていたので、書き直しておこうかな。


    フィルターを近づけていくと言うのは、多分、不可能なことだ。個々人の生活史、
   時代的制約、地理的環境など様々なフィルターの違いは如何ともしがたい。
     日本人が見る世界地図とヨーロッパ人が見る世界地図はまるで違うと思うし、
   例えば、日本から見れば、韓国・中国やロシア等は、日本の上に重たくのしか
   かっているように見えるけど、韓国などから見れば、太平洋への出口を塞いでいる
   邪魔物に見えるのかも知れない。

     人権の問題、国境の問題なども、時代をどこまで溯るかによって、議論が全く分
   かれてくると思う。自分たちに都合のいい世界観を教育されるわけだから、なかなか
   世界中で仲良くと言うわけにはいかないよなぁ・・・。
    
     できうることは、お互いのフィルターを近づけることではなく、お互いのフィルター
   を理解し合うこと、深く深く理解し合うこと。
     そのための努力こそが、どのレベルの問題に対しても必要なのだと思う。
4月5日
テニスの
フィルター
                 テニスのフィルター
 
   ”将棋の大山康晴名人談「相手がミスをして、チャンスと思った時には私は攻めな
  い
様にしている。そういう時にはつい力が入り過ぎて、読み違えたりミスをしがちだ。
  じっくり構えて次のチャンスを待つようにしている・・・」
    テニスは瞬間の動きが必要なので将棋と同じわけではないが、「じっくり構えて次
  のチャンスを待て・・」は名言だ。相手は一度しくじっているわけだから、次のチャンス
  は必ずあるはずだ。今日はこれをモットー
にコートに立った。
    シングルス4セットしてすべて6-0の完勝。メンタル恐るべし。


   以上は15年前の4月、ファイナル機関紙に書いたもの。当時のB級大会(現チャレ
  ンジ大会)の最中に、出場選手の練習相手を務めての記録です。
    当時は、自分の立場でしか物事が見えていなかったが、これは自分の方の見え
  方だけでなく、相手から見れば、チャンスボールを打ってしまったわけだから、こちら
  が「しめた」と思うだけでなく、相手は「しまった」と焦るわけだ。そこで体が緊張してし
  まう・・・そういう相互作用でこちらがポイントできていたわけだ。

    ゲームをイメージする際、こちらがどう責めるかを考えるだけでは不十分、それは
  半分に過ぎない。相手の立場、あいてのフィルターを通して、自分がどう写っているか
  を考える半分が必要なのだ。彼が私をどのように見ていて、どのように攻めようとして
  くるか・・・ それを考えて、それに備えてこそ、やっと十分になるのかな。
 
4月10日
不易流行
                     不易流行

   テニスの技術にしても、ラケットにしても、昔のものとはかなり様変わりしている。
   ラケットが良くなったから技術が向上したのか、技術が向上したからラケットもそれ
  に応えるために改良されたのか・・・。おそらく、その相互作用によって、
お互いにより
  よく
なってきたのだと思う。
   時々、極めて斬新な、特殊と思えるようなラケットが現れることがあるがたいてい
  は知らぬ間に消えてしまう。プレーヤーにしてもかなりトリッキーな選手が現れ、世間
  を騒がせても、そう長くは続かない。
    それでも、そういうプレーやラケットが無意味かというと決してそうではないと思う。
  それは少しマンネリ化した状況を打破し、次につながるある緊張感をもたらしてくれる。

    芸術でもスポーツでも組織でも、多くのものが古典に対する前衛、正統に対する
  異端、のせめぎ合いによって進歩してきたのだと思う。
    芭蕉が言ったとされる「不易流行」という言葉はこのことような状況を言い表してい
  るのだと思う。似たような言葉としては武道などで言われる「守破離」や弁証法でいう
  「正反合」など、言葉としては聞き、同じような意味合いじゃないのかなぁとは思うが、
  深くは知らない。
   
    野球で言えば、王の一本足打法、野茂のトルネードなど、元は完全に異端児の技
  術だ。
  テニスで言えば、やはりボルグだろう。あのトップスピンや、両手バックハンドは、初め
  は絶対に真似するなと言われたはずだ。でも、今では最もポピュラーな打ち方になって
  いる。

    新しいものや新しい状況に出くわした時、それをしっかり受け止めて、自分たちの
  養分にしていくことはとても大切なことだと思う。

    僕らのクラブも不易流行、心して受け止めたい。去る人がいて来る人もある。破が
  あって離がある。反があってこそ合がある。いろんな状況にも一喜一憂せず、できれば
  まともに向き合って生きたい。
  
   今日は異常に固かったなぁ、特に何かあったわけじゃないけど、いろんな人が新しく
  なりスクールも賑わって、ちょこっとお疲れムード。いつもよりたくさん飲みたいな・・・・・。
  
4月12日
九死に一生
                          九死に一生

    余りに個人的なことなので、書かない方がいいかなと思いつつも、これはもともと
  個人的なメモなので、自分の記録としても残しておこうと思う。

    読み返してみると、上記のごとく何やら偉そうな御託を並べた帰り道、4月10日、
  23時頃、10号線大塚の西の原交差点で、青信号を直進中に、対向車線から斜めに
  右折する車が激突、「何じゃこりゃ、あり得ん!」と、急ブレーキを踏むも、相手の車は
  加速して右折しようとしたためか突進してきて間に合わず・・・。車は煙を吹きながら
  頭部がペッシャンコ。さながら自爆テロにあったような感じ・・・。
   相手は「すみません、すみません」と言いながら降りてきた。怪我はないらしい。
  私の方はエアバッグの衝撃で胸に強い圧迫感を感じてへたり込んだ。一瞬、「俺の
  人生はこれで1巻の終わりか・・・こうやって終わるんだ・・・」なんて感覚が頭をよぎる。

   相手は警察と救急車に連絡している。車を安全な場所へ移動せよという指示が
  あったらしいが車は大破していて、エンジンなどかかるわけがない。人間だけ安全な
  場所に移動し座り込んでいると、救急車。胸だけがやけに痛む。
   
   夜間救急センターで レントゲンなど撮ったが骨に異常はなし。
  しばらく休んでとりあえず家族の車で帰宅、すでに午前3時。車はレッカー車が処理
  したとのこと。
    翌日は日曜なので、様子を見ようと診察は12日に延ばす。11日は一応コートには
  行ったけど、おとなしく安静。
    
    俺の骨は本当に丈夫だと、我ながら感心する。2年くらい前、暗闇で落下した時も
  骨折せず、捻挫と打撲で腫れ上がっただけ・・・数週間で松葉杖から復帰できた。
    今回も今日、整形外科で診察したが、現在は湿布薬を貼っているだけ。このまま
  後遺症が出なければ、数週間で完全復帰できるはずだし、来週にでもコートに立て
  るだろう。
   
    昨年だと思うけど、宇宙飛行士の若田さんが帰還した折、日本から持ち込んだ
   食料の中で、飛行士の間で、最も好評だったのは何か?と聞かれた彼が「さばの
    味噌煮」 と答えていたのを聞き、「よしこれだ!」 年寄りの骨にはこれはいいぞと
  思い、いわしの缶詰とともに大量に買い込んで、一日おきくらいに食べていたのだ。
  これも効いたのかもしれない。
   また、 若い頃、30キロくらい担いで山歩きしていたのも骨量を増やしたに違いない。
  何がどこで幸いするか分からないものだなぁ・・・。
  
    相手の青年は、考えられる限りの正直さと誠実さを示してくれた。自分の信号無
  視と前方不注意を率直に認め詫びてくれた。
    人間誰しもアヤマチはあるし、魔が差す時もある。その時の対応の仕方がその人
  の人間性を表す。胸は痛いけど、救われた気持ちでもある。
    
4月20日
埔里店度
                         
                          埔里店度


    なんのこっちゃ?
  実は「プリテンド」のつもりで入力したところ、出てきた最初の文字が「埔里店度」。
    埔里は台湾のプーリー、紹興酒で有名だけど、かっては日本が統治してしまって
  いた所。
  宮崎店みたいな感じで埔里店があり、埔里店度は誰かさんのハンドル(ネーム)だった。
    ネットは何でもありで面白くも恐ろしくもありますね。

    もちろん本当はpretend)のつもりでありました。僕らの世代には忘れられないナット
  キングコール(Nat King Cole)の代表曲で、モナリザ、トゥーヤングなどとともに馴染みの
  曲だったけど、若い人は知ってるのかな?     
   
    今の高音の男性ボーカルもなかなか哀愁あっていいと思うけど、あの低音で太く渋い
  深みのある歌声にはしびれてました。  もともとジャズピアノの名手だっただけあって、
  その歌は確かに確かなもので、深く心に沁み亘るものでした。
    このpretendプリテンドというのは、「装う」とか「ふりをする」と言ったような意味で、ママ
  ゴトのお母さんはプリテンドマザーというらしい。

   歌詞の内容はエイゴン痴の僕が理解するかぎりでは、およそ次のようなものだと思う。
     「落ち込んだ時には幸せのふりをしなさい、簡単なことさ。
      そうすれば、いつだって幸せでいられるよ・・・」  なんて感じかな。
   歌詞は以下にありますし、簡単なものなのでご覧ください。
   そうすれば、幸せになれる・・・かもよ・・・。
  
      http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/englishsongs_3.html#mark04_89

    僕は常々、いや、ず〜どプリテンド人生というか、プリテンドな生活をやていて、その
   ことを書こうかなと思っていて、本当はこんなことを書くつもりじゃなかったんだけど、
   脱線して陥没してしまいました。
     続きは明日にでも・・・・・・。
 
   * このメモに目を通してくださる方もおられるらしく、数人の方から、大丈夫ですか?
  と心配していただきました。少しずつ回復しております。ありがとうございました。
  
4月28日
プリテンド-2
                                       
                    プリテンド-2

   20日に、続きは明日にでも・・・なんて書いたけど、もう28日。この間スポーツ祭の選手
  名簿作りにも励んでおりました。やっと目星がついて、今日、提出してきました。今回は
  出場を逃した人、来年は予選から出ましょうね。団体戦は楽しいですよ。

    さてさて、日が経つと何を書こうとしていたのかさえ忘れますが、改めて思い起こすと
     しましょう。
    常々思うことは、もし所有欲というものをどこかに置き忘れさえしたら、人は随分と豊な
   気持ちになれるんじゃないか、ということ。
   僕は日々、ここ細江のコートに通い、雨の日も風の日も風邪の日も、コートを囲む三方
   の山林を眺めて過ごしています。まったくほったらかしで手付かずのこの山林は、所々が
  野生化して、杉ではないいろいろな潅木が姿を現しています。
    僕はこれらの山林は「みんなぼくのものさ」と空想します。それだけではありません。
  ここから見えるすべての景色は僕のものです。雲も空も・・・それで何の不都合も起こり
  ません。
   
   さらに夜になれば、お空の星々はすべて僕のものです。
   地上にその映像を送り続けているハッブル宇宙望遠鏡、昨年5月に修理され、さらに新し
  いカメラに付け替えられ、地球の周りを回りながら、130億年前の光まで地上に届けてくれ
  ています。大気圏の影響を受けないこの望遠鏡の映し出す映像は、137億年くらい前と考
  えられているビッグバンのすぐそばまで手を伸ばしているわけです。
   
    夜空のまったく何も見えない暗いところにこの望遠鏡を向けると、そこには何万もの銀河
  があり、その銀河の一つひとつに何億もの星が煌めいている。地上の僕らには見えない、
  何にもないとしか言いようのないところに、じつは無数の星たちが宝石のように輝いている。
   
   「星の王子さま」に、「本当に大切なものは目に見えないんだ、心で見なくっちゃね・・・」
  と王子さまに向かってキツネがいうシーンがありますが、本当にそう思います。
   目に見えているものは、上っ面のほんの一部だけだと。
    (この本が初めてアメリカで出版された年に僕は生まれ、作者は確かその翌年に飛行機
  ごと行方不明になっています。この本は世界各国で読まれ、いろんな解釈がされています
  ね。もちろん、夢を与えてもくれますが、深く、悲しい人生のお話でもあると思っています)
   
    ここまで書いてみると、僕は本当に利己主義的にpretendを使っている気もします・・・が、
  僕の見ている景色、雲も空も星々も、無論、同時に皆さんのものでもあるわけで、みんなが
  そう思ってもくれても僕には何の不都合もないばかりか、とてもうれしいことであります。
   (これも「Pretend」の中にありますね。)
  
    ふりをする、その気になってみる、というくらいの意味合いでpretendを使ってきましたが、
  あらゆるところでpretendは威力を発揮します。「Pretend」の後半にこんな件もあります・・・
     「ちょっと目を閉じてごらん、彼はそこにいるでしょう!決して一人ぼっちじゃないよ」
    どうでしょう、素晴らしいですね。人生はバラ色になりませんか? 
    いや、さびしくなる?・・・そうかも・・・
 
    ハッブル宇宙望遠鏡に興味のある方は覘いてみてください。
    http://www.h2.dion.ne.jp/~scouting/HST/Hubble_Gallery.htm
  
過去のメモ
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