2017年 メモ一覧
2017年 12月
12月24日(日) ひたむき、けなげな山茶花に倣って
12月20日(水) 昨日は晴天な~り!
12月3日(日) その後のココちゃん
2017年 10月
10月30日(月) この充ち満ちた矛盾を楽しめたら・・・
10月28日(土) あっという間の一ヶ月
2017年 9月
9月26日(火) 本当のところはどうなんだ?
9月8日(金) 早いもので・・・年取るはずだね
2017年 8月
8月15日(火) 終戦の日
8月9日(水) 台風さまさま
2017年 7月
7月21日(金) 何故か親しいフィンランド
7月3日(月) フィンランディア賛歌
2017年 6月
6月26日(月) ライオン宰相、今何処・・・
6月22日(木) 6月はブラボーブラームス!
6月17日(土) ルーチンワークは楽し気に
6月15日(木) 前畑から岩崎へ
6月13日(火) 合歓木もお目覚め
6月12日(月) 凄いすごい凄い!ラファ!!
6月9日(金) 5枚花びらのドクダミの花
6月8日(木) 今日は快晴
6月6日(火) 練習メモ初め
2017年 5月
5月29日(月)
無知とは恐ろしいもので・・・
5月26日(金) 楽しや5月の最後は初蛍
2017年 4月
4月26日(水) 翻訳命3 もうちょっとだけ
4月23日(日) 翻訳命2 「枯葉」 猿真似の威力
4月19日(水) 翻訳命(1)シャンソン
4月9日(土) 春に3日の晴れ無し
4月7日(金)
音楽はどこまでも運ぶよ
2017年 3月
3月17日(金) オイラのオモチャ箱
3月3日(金)
山高きが故に貴からず・・・
3月1日(水)
弥生の「夢」は・・・
2017年2月
2月27日(月)
終わりは始まりの始まりなのだ~!
2月22日(水)
「ニャンにゃんニャン」の雨の日に
2月10日(金)
ただ風が吹いているだけ
2017年1月
1月31日(火)
トランプ旋風
1月29日(日) 梨寿なり
1月27日(金) 旋風から妄想の連鎖
1月14日(土) 夢のつづき
1月10日(火)
白日の逆夢
1月1日(日)
明けまして おめでたい年でありますように
2017.6.9の記事より
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2017年 12月
12月24日(日) けなげな山茶花に倣って
予報通り午後から雨になった。久しぶりの雨だ。 クラブハウス玄関前のサザンカも少し寂しげだ。 昨日は50輪ほどの花が咲き誇っていたが、この雨で散ってしまうのかな・・・
サザンカはツバキの仲間で、花もよく似ている。しかし、椿は文字通り春の木であるけれど、山茶花は冬の花だ。椿はポトリと丸ごと落ちるが、山茶花は花びらがほろほろと落ちる。
花の少ない寒さ厳しい時期に、けなげにも咲いてくれるので、花ことばも、この「ひたむき」、「けなげ」という意味合いをもっているように思う。
だいたい花言葉はどこから来たのか・・・諸説あるようだが、どうやらトルコ辺りが発祥の地で、それがヨーロッパに持ち込まれ、本になったりして各地に広まったらしい。
広まるにつれ、その国の文化や色合いによって、変化してきたという。だから、これが正解、というものではない。各人が、その花に感じた思いを込めて贈ればいいのだろう。
ところで、ピンクのサザンカの花言葉は「永遠の愛」らしい。 たかだか100年の人間が、永遠なんて言うのはおこがましいので、こんな胡散臭い夢物語より、「今日一日のほんの少しの優しさを」・・・尊しとしよう。
ここの山茶花の写真は僕も撮ったが、これといったものはなかったので、以下のリンクをご覧いただければ、と思う。 http://rennai-meigen.com/sazankahanakotoba/
木片に春で椿、夏で榎、冬で柊(ひいらぎ)、秋は楸(ひさぎ)、ひさぎはアカメガシワの別名。
手元に「野の花だより365日」という精巧な挿絵の入った随想集がある。
ドイツ文学者の池内 紀さんのエッセイに、野の花館の主宰 戸山康雄さんが挿絵を描いたものである。
http://www.toyama-yasuo.jp/
12月23日は柊(ヒイラギ)、今日、24日は赤い実のなるヒイラギモチ。
12月27日も丸い赤い実が団子状になる実蔓(サネカズラ)
そして12月28日が山茶花と続く。
このサネカズラは先の山茶花のちょっと上になって、目立っていたが、今は細々とひと房か二房くらいしかない。
ついでに12月29・30日はサクランボのような赤い実をつける冬青(ソヨゴ)。赤い実をつけるのに冬青とは・・・。これはモチノキ科の常緑樹で、冬でも青々とした葉を一杯つけるから、らしい。
そして、最期の大晦日、ここではクスノキが登場する。木に南、楠である。大木になる南の木で、防虫剤の樟脳やカンフル剤の元になる。 県庁前の楠並木は見事なものだ。木は本当に大切にしたい。
さてさて、山茶花から大晦日まで、一気に駆け抜けてしまった。
残り少ない2017年、平和な日々が続くよう願いながら、ひたむきに、けなげに、でもやっぱりのんびりと駆け抜けていきたいと思う。
12月20日(水) 昨日は晴天な~り!
昨日は嬉しいことがあった。 一昨日、練習会メンバーのEさんから、「勝手におにぎり昼食会を計画したので、昼食の用意不要」旨のメールをいただいた。
練習会はミックスのゲームで楽しみ、いよいよ昼飯、お鍋やお赤飯が運び込まれ、他の方もおにぎりや手料理を用意されていて、楽しく豪華な昼飯になった。 昼飯開始早々、「おめでとうございます!」とEさんの音頭、誕生日にはまだ早いし、「何かありましたかね?」と聞いたら、「ファイナル25周年おめでとうございます!」
そうか、忘れとった・・・そういえば、9月のメモに「ファイナルはここに来てから15年、その前の10年を合わせると四半世紀になる」と書いた覚えがある。
25年前にファイナルと名乗ってクラブを立ち上げたのは、まさに忘年会の席上であったので、12月が25周年と呼ぶにふさわしい。グッドタイミングのお祝いをして頂いた。
実は、その時書いたメモは、書いた直後に「シマッタ、これはアカンやろ」と思っていたのだが、そのことはすっかり失念してしまっていた。「まぁ、よくよく考えてみると、自分で25周年なんてお祝いするのも変なものだ。」なんてメモっている。
そうじゃないだろう・・・ここまで続けられたのは、皆さんに支えられてのことだから、感謝のイベントをしなきゃならんのだろうに・・・それなのに、何てことを言ってるんだ。
そう後悔はしたが、何せ、僕は日々のファイナルにいっぱい一杯、そんな余裕もなく、申し訳ないなぁ・・・と案じていたのだ。
思いがけないサプライズに、涙が・・・いや、生涯涙量を使い切り、涙腺をいくら刺激して絞り出しでも、出てきやしないが・・・本当にありがたいと思った。
皆さん、ありがとうございました。
さてさて、今日は早朝から出かけて、高齢者講習を終了してきた。これからは些細な違反でも、すぐ、認知機能検査を受けねばなりません。何よりも、他人を傷つけてはなりません。これを機に、一層の安全運転に邁進し、皆さんに迷惑が及ばないように心がける所存であります。殊勝!
12月3日(日) その後のココちゃん
11月はメモ無しで過ぎてしまった。
9月8日のメモに 「数日前から子猫ちゃんが居ついている。自分の寿命を考えると、もう絶対に飼えない。
だいたい動物をペットとして飼うのは苦手だし、性分に合わない。なので、今回は友達にはなるが、結婚はしない、というお互い、自由な関係で、この近辺が住みやすいのなら、お友達付き合いくらいはしてもいいかな・・・と思ってはいる。
そのうち、もっと気に入った場所と人に恵まれれば、幸せに暮らせるだろう、一時の住処にしてくれるなら、これも何かのご縁というものだろう。」 なんて書いている。その後の様子をメモしておこうと思う。
あれから、もう3か月近くなるが、ファイナルの物置小屋を住処に暮らしているようだ。僕は食事と水の用意はしているが、あまり近づかないようにしている。 雄雌もよくは分からない。
一応、子猫ちゃんのネを抜いて、「ココちゃん」と呼んでいる。最接近距離は40cm、スキンシップも取らないことにしている。 野良ネコらしく、ひどく用心深い。そうでないと生きてはいけないと思うので、あまり馴れ馴れしくしないようにしている。
昨日、ファイナルへの侵入道路の道端に、イノシシの足が千切れて落ちていた。端に寄せて見えないようにはしたが、とても物騒だと分かる。夜はいろいろな獣が行きかい、昼間とは違った景色が展開されているのだろう。
ココちゃんは、この3か月で、見違えるほど大きくたくましくなってきた。しかもとてもすばしこい。矢のごとく駆け抜けるが、夜道を歩いている姿はいかにも小さい。日々の無事を祈るばかりである。
12月の初日、ジュニアの練習を終えて、今年なんと初めての飲み会に出席した。こちらの希望した時間と家の近場を探していただき、ぜひ、ということだったので、喜んで参加させていただいた。
今年、かなりの成績を残した女子Aの猛者4人に囲まれて、小さく、まるでココちゃんのように・・・楽しいひと時を過ごさせていただきました。
感謝!
2017年 10月
10月30日(月) この充ち満ちた矛盾を楽しめ
昨日午前中は、台風の影響があり、雨も風も強かったので、朝はさすがに誰もいなかった。
11時頃から雨は治まり、普段は8時頃から始める人たちが、集まり始めた。
問い合わせのあったジュニアには、「今日の練習はコートが無理なので、ごめんなさい。」と伝えたが、それでも4~5人ほど来たので、コートの塩梅が厳しかった。
コートは有り余っても大変だが、混雑しても難儀である。幸い、15時くらいには4面共使えるようになったので、何とか急場をしのぐことはできた。
何事にも、丁度いい塩梅というのがあるようだ。お薬にも、「毒にも薬にもならない」量から、「毒」になる間に、丁度いい効き目の量があるのだろう。同じものが、毒にも薬にもなる。
さて、一昨日引用したニーチェの言葉、 「一段深く考える人は自分がどんな行動をし、どんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている。」 という言葉について、僕は、「間違っている」、というよりは、「矛盾を孕んでいる」
と言った方がいいのではないか、と思う。
身近な例を、我がクラブの歩みの中に見てみよう。 公営コートを借り歩く、ジプシークラブだった頃、「テニス人口がもっと増えるといいね」などと話し合ったものだが、「そうしたら、コートがますます借りにくくなるね」と反論がある。
その矛盾を解消すべく、ファイナルはコートを恒常的に確保し、一応、この矛盾を解消したかに見える。しかし、今度もまた様々な矛盾がのしかかる。
例えば、自分たちが日常的に利用していた公営のコートが営業的には敵対してくるように見える。立場が変われば見え方が変わる。
だが、クラブの一番の矛盾は、その「排他性」にある。
選挙でも「排除」の論理が問題になったが、どんなに小さな仲間、例えばカップルでさえも、仲間を作るということは必ず「排他性」を持つということだ。
仲間を作るという素晴らしい行為が、仲間を斥ける。テニス大会でのチーム戦を思い起こせば十分だ。
チームを作れば、入りたいと思っている人を斥ける。 この仲間作りが、いじめの大きな一つの原因ではないか、とさえ思われる。(アメリカの核は脅威と感じないが、北の核は脅威と感じる・・・これは、アメリカはお友達(親分)であるのに、北は仲間ではないからだろう。仲間になれば済むことだが、これは相方が許さない。)
ヘーゲルを持ち出すまでもないことは重々承知しているが、こういった考え方は、彼の考え方を拝借したものなので、敬意を表して、一応記しておきたい。
彼のいわゆる「正・反・合」というのは、歴史の発達段階を説明するのに用いられたものだが、僕が深く感じるのは、正の中にも反の中にも、合の中にさえ、自己矛盾を孕んでいて、これは合となって止揚された後も、解消されたわけではなく、正・反・合、いずれの中にも残っていくものだ、というところだ。
人間は、生きたいと欲してはいるが、生きている間も常に死を孕んでいる。 すべてのものが、小は細胞から、大は宇宙まで、解消不能な大いなる矛盾を孕んでいる。矛盾を抱えたまま生きていくしかないのだ。
話をテニスに戻そう。いくら勝ちたいと思っても、必ず負けはやってくる。上手くなりたいと思っても、上手くなったその瞬間から下手くそが忍び寄る。どうせ負けるのだから、といって、投げやりな試合をしてはダメなのだ。
この矛盾を抱えながら、楽しんでいくしかないのだ。 この矛盾に充ち満ちた状況を楽しめたら・・・、人生でもテニスでもそうありたい、と切に願っている。
大袈裟なこの話は、もう少しだけ、多分・・・つづく
10月28日(土) あっという間の一ヶ月
前回のメモが9月26日となっているので、もう一月以上経ってしまった。あっという間の一月だった。
あまりのご無沙汰なので、ちょっとメモしなくちゃ、と思って書き始めたら、台風22号の接近で、肉体労働からは開放され、またまた長くなってしまった。
今日のところは、少しだけ、UPしておこうと思う。
大変遅い台風の襲来だが、遅いと云えば、一昨日、茂みの中で、蛍が光っていた。去年もこの時期に見たので、毎年、この時期まで蛍は見られるようだ。
さて、選挙もあった。政治絡みの話題は避けて、ちょっと唐突だが、ニーチェの言葉を借りて、一般的なコメントをメモしておきたい。
「われわれ一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。」
「多く考える人は党員には向かない。というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。」
「怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう、気をつけるべきだろう。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ。」
「一段深く考える人は自分がどんな行動をし、どんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている。」
最後のこの言葉が、このメモを長くした原因だが、今日は引用だけにしておこう。
どんな判断も必ず矛盾を含んでいる。僕は自信満々の言動をする政治家ほど、こいつは怪しいな、と思う。
彼らの多くは自信を持って、自分たちの正当性を主張するが、これらはほとんどすべてが眉唾ものだ。
どの党の公約も、その中身は大いに矛盾を孕んでいるように見える。政党間の論争も必要ではあるが、先ずは、自分たちの内部で、その矛盾をいかに克服していくのか、議論を深めてほしい。
自由な言動を抑圧するなんて、言語道断だ。
前書きが長くなったが、続きは、できれば明日あたりに・・・
2017年 9月
9月26日(火) 本当のところはどうなんだ?
つい4・5日前のことである。猿がたくさんお出ましになった。僕が控室(というより物置)でガットを張っていると、すぐ目の前の道路脇にあるハゼの木に猿が登っていて、こっちを見ている。
網戸越しではあるが、3m程度の至近距離、網戸を開けると、彼はこっちを睨みつけている。しばし猿と睨めっこ・・・。 相手は歯を剥いて威嚇してくる。
こっちも負けずに応戦。キキキー!と吠えてくる。負けずにガオー!と応戦。このにらみ合いをしている最中に、ふと笑いがこぼれてしまった。
最高権力者には失礼だが、まるでドナルドさんと正恩さんみたいだな~・・・と思ってしまったのだ。 お互いに吠え合っている。でも、もっとみっともないのは、子分の晋三さんまでが、負けずと懸命に吠えていることだ。
吠え合いは大親分に任せておけばいいのに・・・。
デモでも、多分、晋三さんは、ロシアや中国とも仲良くするために、この際、恥を忍んで、大親分に恩を売っていたのかもしれない、そう思いたいところだ。
親分を無視してウラジミールさんや近平さんに近づきすぎると、大変な目に合うはずだから・・・。
北の核の脅威が云われているが、米・ロ・中などからは、絶えず、核の脅威にさらされている。勝手な振る舞いは許されない。親分たちは上手く振舞うしかないのだろう。
そういえば、ドナルドさんも選挙で言っていたことと、実際の行動は、まるで違ってきた。他国に対しては、あまり関与しない、と言っていたのに・・・。
そうこう言っている僕も、分裂し矛盾した2つの自分を感じている。一つはアメリカ組の子分である日本組の末端の組員としての自分である。
もう一つは、そこから距離をおいて、一人の人間として状況を見ている自分である。 組員としては、正恩さんが歯を剥いて吠えまくり、木の枝をへし折っては投げつけてくるのは、いい気分ではない。
こちらも負けじと脅したい、という気分にもなる。しかし、もう一人の僕は、そうは言っても、核を有り余るほど持っていて、常時、脅しているアメリカなどに対して、負けじと脅し返す気持ちも分からないでもない。
銃をいっぱい持っている組の親分が、お前の組は一丁も持ったらあかん、と恫喝しているようなものだ。
浜口雄幸のところでメモした日本の状況にそっくりだ。米英から軍備削減を迫られ、やがては経済封鎖をされ、たまらず軍部が独走する。そして大戦に突入していく。
至る所に地雷や導火線が仕掛けられている。真珠湾もイラクも9.11のテロも、仕掛けられた導火線の罠にはまった公算が強い。導火線に火をつけるのを待っている。そこが攻撃の狙い目だ。それに対する反撃は世論が味方する。
戦争は経済に多大な効果をもたらす。 今は北朝鮮が脅威だと言っているが、もし、仮に日本がアメリカに逆らって、独自の行動をとれば、途端にアメリカの核が脅威になる。
米・ロ・中をはじめとする核保有国は、言うまでもなく潜在的な脅威である。
北朝鮮に対する日本の立ち位置は、極めて特殊、と言っていいのかもしれない。北朝鮮と国交のない国は30前後しかない。それに対して国交を持っている国は160以上だ。
アジアの大半は国交を持っている。ヨーロッパではフランス以外の大国はドイツ、イギリスなどすべて国交がある。
相互に大使館を置いているところも結構ある。
北朝鮮は国連加盟国であるが、日本は国として認めていないので、自動的に国交はない。日本は世界的には明らかに少数派である。
話がそれるが、先日、NHKの番組で、沖縄の核配備についてのレポートがあった。日本の「非核3原則」は沖縄を除外していた、ということが、当時の記録文書で明らかにされていた。しかも、1300発というアメリカ最大の核貯蔵庫になっていたという。
沖縄に核があるという噂は聞いていたが、国民には知らされていない。いつも犠牲になるのは弱きものである。
政治には裏と表があり、本当のところはどうなのか?というのは知らされない。僕らは知らされないまま、知らないまま選挙に臨む。そして、よく分からないまま一票を投じる。恐ろしいことではある。
しかし、分裂した自分の中で、その時々に決断し、自己を決定していくしか手はないのかな、と感じてはいる。
9月8日(金) 早いもので・・・年取るはずだね
朝晩は少し肌寒いが、昼間はまだまだ残暑が厳しい。 いろいろ世界情勢も複雑で、考えさせられることも多いが、親分衆に任せておくしか手はない。
僕らには本当のところはほとんど分からない。迂闊にはものの言えない状況だと思うが、戦争だけは御免被りたい。そのためなら、多少、貧乏になっても全く平気だよ・・・もっともこれ以上、貧乏にはなれないか・・・。
さてさて、日常に戻ろう。
第2次ファイナルとして、ここ細江に定住したのは、2002年9月。早いもので、15年が経過した。
それ以前の公営コートを借り歩いてのジプシー生活、第1次ファイナルの10年を加えると、四半世紀に及ぶ。とメモしてみて、「四半世紀」という言葉ももはや死語かな?と思ったりする。
四半分、というのは、当たり前に使っていたが、今では四分の1、と言わなければ分かりにくいのかも・・・。「四半世紀」というのは、少し「もったいをつけた」言い方らしい。
確かに・・・。
ところで、「もったいをつける」とは?・・・などと、次々に言葉に躓く。こんなことを繰り返していたら、先に進めない。
僕の読書は、いつもこうだったので、完走できないで終わることが多かった。それでも、最後の方だけはちゃんと読んで、はい完了!と辻褄を合わせる。
まったくいい加減な奴だ。 趣味で山に登っていた頃もそうだった。途中のいろいろな変化が楽しみで、ピークにはあまり興味がなかった。
決まりきったコースを歩くより、少し横道にそれて、違った景色を味わいたい、などと思って、とんでもない目に遭ったこともある。僕の人生そのものがほとんどそうだ。楽しくはあったが、ほとんど横道で、逸れっぱなしだ。
だが、それもよし、自分の人生だもの。 25周年に何か・・・とは思ったが、何せイベント嫌いの横着もの、そのまま時を過ごしてしまった。
一時のイベントとより、日常が大事、と思っているので、イベントにはあまり気乗りがしない。必要以上のハイテンションは疲れるし・・・・。
まぁ、よくよく考えてみると、自分で25周年なんてお祝いするのも変なものだ。特別に努力したわけでもなく、ただただ運よく人に恵まれて、生き延びてきた。このまま淡々とやっていけばいいのかな、と思う。とにかく、公営コートは溢れていて、私営のコート業としては、やっていけるわけがない。
人手は欲しいが一人でも食えないのに、増やせるわけがない。とにかく、何とか回っているのが、自分でも不思議で、これはメンバーの方々のおかげ、としか言いようがない。
言葉足らずではあるが、深謝、深謝である。
さて、またまた数日前から子猫ちゃんが居ついている。自分の寿命を考えると、もう絶対に飼えない。
だいたい動物をペットとして飼うのは苦手だし、性分に合わない。なので、今回は友達にはなるが、結婚はしない、というお互い、自由な関係で、この近辺が住みやすいのなら、お友達付き合いくらいはしてもいいかな・・・と思ってはいる。
そのうち、もっと気に入った場所と人に恵まれれば、幸せに暮らせるだろう、一時の住処にしてくれるなら、これも何かのご縁というものだろう。(続く、きっと・・・)
2017年 8月
8月15日(火) 終戦の日
今日は終戦記念日ということらしいので、そのことだけをメモしておきたい。
いつを終戦の日とするかについては、国によって諸説あるようだが、ポツダム宣言調印の日、9月2日とするのが一般的のようだ。
今月は東京裁判の記録や、それにまつわるノンフィクション、ドキュメンタリーなど、多くのテレビ番組があった。
戦争裁判は、戦勝国の裁判で、歴史もまた戦勝国によって作られる。 終戦72年というから、僕はほぼこの戦後の歴史を歩んできた。72年もの間、戦争を経験せずに済んだことは、本当に幸せなことだ。人間の一番の不幸は戦争だ。
戦争について考えることは、人間そのものについて考えることだと思う。しかし、僕はこの戦争について、学校で学んだことがない。また、日本の政治や司法などが、この戦争について総括したのもほとんど聞かない。
きな臭い話が多くなっている今こそ、一人一人が考えておかなければならない課題だと思う。
8月9日(水) 台風さまさま
台風5号が去った。宮崎には大した影響はなかったようだ。というのは、片っ方だけの見方で、本当は大いなる恵みの雨だった。
もしも台風が来なかったら、九州は水不足で大変なことになる。被害が最小限になるように、台風には来ていただくのがいい。(今年はたくさん来そうで心配ではあるが・・・)
これに似たようなことが、身辺にはたくさんあるように思う。例えばコレステロール。
心筋梗塞など引き起こし、血管に悪い影響を与える、とされてきた。すっかり悪者にされて、特に高齢者は、これをいかに低く抑えるか、ということが大きな課題だった。
ところが、実はこのコレステロールというのは、大変大切なもので、悪玉コレステロールと云われてきたLDLも、悪玉どころか細菌やウィルスの毒性を弱める働きをし、肺炎、感染症などの内臓疾患を予防する働きさえあるという。
さらに、コレステロール値の低い人は死亡率が増え、コレステロール値が増えるにしたがって、死亡率は低下する、という全く逆のデータも発表されている。
確かに、元気で長生きしているお年寄りは、肉などもりもり食べている人が多いように思う。血糖値や血圧などについても、これまでのデータはあまりあてにならない。かなり異常で、自覚症状がない限り、あまり気にしなくていい、ということらしい。
一昨年だか、免許更新のため、高齢者講習を受けに行ったとき、降圧剤とかコレステロール値を下げる薬とか、「何らかの薬を飲んでいるか?」という問いに、9人中、8人がyesと答えた。例外の一人は無論、僕である。
僕は薬もサプリも全く無し。いろんな基準値があるが、それを設けることで病人になる。低く設定すれば病人は増える。病人は薬を欲しがる。
製薬会社の見事な罠だ。
行き過ぎや過信は禁物だが、いろんなものを食べ、栄養もしっかり摂って、元気にテニス?をするのが一番、ということらしい。
これに似た話はたくさんあるが、今日のところはこれまで・・・。
2017年 7月
7月21日(金) 何故か親しいフィンランド
暑い日が続いていますが、練習は結構盛んです。
18日の練習会も沢山の方が参加、Nさん差し入れの高級おにぎりなどを、ありがたく頂きながら、15時くらいまで延長練習。今日も延長組は16時半くらいまで頑張りました。
このところ、少しはしのぎ易い感じはしますが・・・それにしても、皆さん、すごすぎる!
さて、前回のメモで、「7月はシベリウス月間だ!」などと粋がっては見たものの、どうもしっくりこない。交響曲全7曲など、かなり聴いてはみたが、寒い国の音楽なのに、なんだかとんがった感じが鬱陶しく感じられ、2週間でダウン。
結局、馴染みの優しい曲に切り替え、この夏は、耳障りの良い曲でお願いすることにした。これはシベリウスのせいではなく、自分の体調のせいだろう。
シベリウスにはいずれまた挑戦するとしよう。
しかし、フィンランドについては、折角の機会だから、ちょっとだけメモしておこうと思う。
大雑把にいうと、日本が38万㎢に対し、フィンランドは34万㎢だから、日本よりやや小さい程度。これに対して人口は530万人くらいというから、日本の20分の1くらいしかいない。何とも羨ましい淋しさである。
森と湖の国は、いかにも広々とした国と云ってもいいと思う。
さて、つい最近、世界各国の男女平等の度合いを指数化した世界経済フォーラム(WEF)の2016年版「ジェンダー・ギャップ指数」が発表されたが、フィンランドは堂々の2位である。
しかも、1位はアイスランド、3位がノルウェー、4位がスウェーデンと北欧各国が上位を占めている。日本の順位は調査対象144カ国のうち111位だと云う。「男女の所得格差」がひどく、順位を大幅に下げた。
男女平等というと、兵役まで平等のところもあり、同じ北欧でも、EUとの関係、NATOとの関係など、微妙な温度差はあるようだ。
ファインランドは、他の国のようにゲルマン系ではなく、スラブ系なので、北欧といっても文化や社会の景色なども微妙に違っているように見える。
さて、日本からは遠く、あまり馴染みのない国ではあるが、フィンランドが大好き、という日本人もかなりいるようだ。
フィンランドといえば、日本ではムーミンとサンタクロースかな・・・、もう一つ、古い人にはヘルシンキオリンピック(このオリンピックは日本にとっては特別のもので、これについては、別の機会にメモしたい)。
昔、かなり若い頃、ムーミンも含めて、妖精のことを調べたくて、東京のフィンランド大使館を訪ねたことがある。当時は平和そのもので、何の検査もなく、大使館の事務職員に、全く自由に応対していただいた思い出がある。
当時の話の内容は、全く覚えていないが・・・。
フィンランドは教育も医療も原則無料である。北欧の多くの国も同様である。税金は高いが、国に守られて、安心して過ごせるので、国民の満足度はかなり高い。
北欧は、日本の目指すべき、福祉国家の一つの目標だと思う。そして、何故かはわからないが、フィンランドは、僕にはとても親しい国に思えるのだ。
7月3日(月) フィンランディア賛歌
梅雨明け間近、テニスにとっては、最も過酷な季節。
何とか毎日、テニスはしている。今日の練習会は4人、お利口さんは休むよね・・・。でも、頑張ってる人には乾杯!
さてさて、6月28日の朝、出がけに、NHKeテレの名曲アルバムでシベリウスの「交響詩 フィンランディア」をたまたま聞いた。思うところがあり、すぐにメモしようと思っていたが、月をまたいでしまった。
シベリウスはバイオリン協奏曲など、ちょこちょこは聞いてはいたが、まとめて聞いたことはなかった。クラブに着いてから、改めて、フィンランディアを聞いた。何回聞いたことやら・・・。
フィンランドの第2の国歌とまで云われ、その一節に歌詞を付けた部分は『フィンランディア賛歌』と呼ばれ、フィンランド人を励まし続けてきたという。この部分は讃美歌にもあり、幼い頃、歌った記憶がある。
この国は長い間、スウェーデンの属国だったが、ロシアに占領され、支配されてきた。 ニコライ2世の頃には、ロシア化が図られ、それに反抗して、独立運動が起こる。
日ロ戦争やロシア革命でロシアが混乱を極めている間に、ファインランドは独立を勝ち取る。1917年というから、丁度100年前のことである。
交響詩というのは、19世紀中頃にリストが呼び始めた絵画や詩などをモチーフにして作られた1楽章からなる管弦楽ということらしいが、はっきりした区分はなく、作者が交響詩と云えば交響詩、交響曲と云えば交響曲というのが結論らしい。
それ以後毎日、シベリウスの第1から第7までの交響曲を聞き続けているが、彼の交響曲はすべて交響詩と言っていいくらい、情景が浮かび上がってくる感じがする。
彼も作曲家の例に漏れず、タバコ、アルコール、それに売れっ子になってからは社交界好きが高じて、体調を崩す。
彼の曲は概ねフィンランドの厳しい自然を感じさせるが、療養を兼ねて各地を転々とする間、その時々の地で作曲されたものは、その地の風景や自然、季節を感じさせるものも多い。
彼の7つの交響曲も、それぞれに趣が違っているように感じられる。まだまだ、聞き馴染んではいないので、暑い季節だが、今月はシベリウス月間ということにして、たくさん聞いてみようと思う。その感想はまたの機会に・・・。
話は変わるが、僕にとってのフィンランドの思い出は、9歳くらいの時に開催された、ヘルシンキオリンピックである。フィンランドという国について、また、このオリンピックの思い出は次の機会にメモしたい。
2017年 6月
6月26日 ライオン宰相、今何処・・・
梅雨時期のイベントは不透明だ。今日は予報より大分天気良好だったが、シングルス月例会は中止した。でも8名で練習はした。
最後にはタイブレーク総当たりまでできたから、十分練習にはなったと思う。
お菓子などの差し入れを沢山頂き、紅茶とケーキで茶話会も・・・。この時期はできる時に、できることをやるしかない。
さて、4月末にNHK・BSで放送された浜口雄幸と石橋湛山のドキュメンタリーがず~と気になっていて、いつかメモしなくては、と思っているうちに、こんなに時が経ってしまった。
以前も見た覚えがあるので、再放送だとは思うが、NHKのスタッフも捨てたものではないなぁ、と思ったものだ。特に政治を私物化して、嘘のオンパレードみたいな現在、この二人の足跡は大変意義のあるものに思えた。
今日は27代首相、浜口雄幸(1870~1931)のメモを残しておきたい。
エリートコースを歩み、次官にまで上り詰めるが、そのいかにも実直かつ無骨そうな風貌から、ライオン宰相と云われた。
自ら出しゃばってなったわけではなく、時代状況と政界、財界などから求められて、立憲民政党総裁となり、総理大臣となった。
第一次世界大戦で日本は戦勝国となったが、軍備の拡大が続き、庶民の生活は疲弊し、経済の立て直しが必至であった。
浜口は、これ以上、軍備増強を計ることなく、各国と協調して、軍縮していきたいと望んでいた。しかし、軍部はさらなる国防費の増額を要求する。
折しもロンドンの軍縮会議で、日本は米英と激しく対立する。
詳細は省略するとして、この条約では、浜口らの尽力によって、イギリスやアメリカの約7割の補助艦を保有することになったが、軍部は激しく反対する。
実際には69.75%と7割の攻防で、米軍が意地を通し、日本は実をとった形だが、軍部はこれが気に食わない。
以後も拡大を画策する。しかし、国民はこの条約を歓迎したので、軍部も一応、引き下がらざるを得なくなる。
だが、そんな事態を快く思わない連中に、おそらくはそそのかされた右翼の若者に銃撃される。それがもとで、翌年、彼は死ぬ。
自分の給料を2割減らし、警備費をほぼゼロにして、経費節減を図ったが、それがこの結果を招くことにもなった。あくまでも、自分のことよりも国民を優先させたのである。
彼の経済政策はタイミングが悪かったせいで、経済は好転せず、歴史的にも評判は良くない。しかし、彼のやろうとしたことは決して間違ったことではないと思う。
以下、城山さんが何かの対談の折の発言の抜粋である。
「浜口亡きあと、軍に逆らうことはけしからん、問答無用のことであるという風潮が世の中に広まり、本当の意味での政治がここで消えてしまったということです。
ここから軍部がひたすら暴走し、日本を大きな悲劇に巻き込んでいったわけです。
浜口死去の翌月、満州事変が勃発。関東軍は、内閣の不拡大方針を無視して満州での軍事行動を開始した。
日本軍の動きは各国の反発を招き、以後、日本は国際的に孤立していった。
浜口内閣の推し進めた国際協調路線はここに崩れ去ったのである。
やがて政党政治も軍部の圧力のもとに力を失い、不況にあえぐ国民の目も、軍の拡大路線とともに外地へと向けられていった。」
ここで重要なのは、軍縮条約を歓迎した国民が、海外侵略に万歳し、歓喜し、目先の好景気に目がくらみ、これを支持したこと、マスコミなどがこぞってこれを煽ったこと。
これらによって、その後の日本の針路が決まっていってしまったことである。 (いつの日か続く・・・)
6月22日(木) 6月はブラボーブラームス!
昨日は夏至で晴れたが、今日はやや雨模様。ようやく梅雨らしくなってきた。一週間後くらいに、日没が一番遅くなる。
家のアジサイもクラブのも鮮やかだ。今日も何とかテニスはできた。夜の練習会もできてはいるが、雨でマシンが使えない。ボールが濡れるので、マシンのゴムが滑ってしまい、ボールが詰まるのだ。
そこで今日はすべて対人練習。コートで、一組はもうシングルスを始めている。残った人はストロークなど・・・。
さて、僕はこの間、音楽三昧を決め込んだ。今月はず~とブラームスを聞いている。
以前は、モーツアルトやショパンの華やかさに比べ、ちょっと地味だよな~、と思っていて、聞き流していた。でも、しばらくすると、また、彼の曲を聴きたくなる。
今はオーケストラを聞き続けている。 バッハ、ベートーヴェン、そして彼が、ドイツの3大Bと云われる。
社会的にはまともな人が少ない音楽界だが、彼はかなりまともな人に見える。まともでない分の欠落が、音楽への集中と没頭を生み出しているとも思えるので、彼はまともな分、音楽がまとも過ぎるのかもしれない。
古典派とロマン派の中央に位置しながら、あくまでもオーソドックスに、クラシックの王道を歩んでいるように思える。 彼は交響曲を4曲しか作っていない。
ベートーヴェンの後、それを超えて、新たに交響曲を作るのにはものすごいエネルギーを要したのだと思う。
第1は構想から完成まで、ほぼ20年を要している。第一の完成後は、数年の間に、その後の3曲を一気に完成させているので、堰を切ったように創作していったのだろう。
僕は、今、そのどれも大好きである。第1と第3からはエネルギーを、第2と第4からは大いなる癒しをもらっているといった感じかな・・・。
彼は多くの後輩たちに経済的支援を与えているが、ドボルザークに対しては、彼の才能を見出し、特別の支援をしている。ドボルザークもまた大好きな作曲家で、5月はドボルザーク月間であった。
有名な話だが、ブラームスは先輩のシューマンとはお互いに理解し合い、尊敬し合う仲で、彼が精神を病み、亡くなった後も、妻、クララシューマンを最後まで支え続けている。
クララは彼より14歳も年上だが、クララに対する恋心があったのだろうということは想像できる。 いろいろ婚約や結婚の話があっても、結婚には辿り着かず、彼は終生独身を通した。 僕はここで何故か無法松を思い出してしまった。
なぜ、僕の話は、こうもまとまりなく拡散するのだろうか・・・この辺にしておかないと、どこに飛んでいくことやら・・・
あと少しで終了時間、熱い汗が飛び散っているようだ。
ともかくも今月はブラボーブラームス!だ。
6月17日(土) ルーチンワークは楽し気に
練習会メモは、一応の役割を果たしたと思うので、中止。練習会のおよその内容を知っていただくためのものだったが、そうそう毎回、目新しいものがあるわけでもなく、基礎、基本の練習内容はほとんどがルーチンワーク。
この繰り返しが、ちょっとずつの進歩に伴って、楽しいと感じられることが大切だと思う。
練習会の内容は、基本的に、参加者の希望されたメニューは必ず入れることにしている。
「あれを練習したい」と思うことが、楽しい練習のための第一歩、次の一歩が考えられるということは、何事にも大切なことだと思う。
今後は、ちょっと変化があった時、あるいはイベントなどで感じたことがあったら取り上げようと思う。
練習会は、皆さんのご理解を得て、現在のところ、ほぼ順調な歩みを進めていると思う。ナイター練習会はまだ緒に就いたばかりだが、何とか道筋も見えてきて、少しずつ形をとりつつあると思う。
これからも、いろいろ試行錯誤し、体と相談しながら、試み続けようと思う。(前向きだね~)
6月15日(木) 前畑から岩崎へ
6月14日(水)の練習会メモ*ナイター女ダブ練習会 男子2名も参加しての練習。 ①フォアハンド・バックハンドストローク ②ボレーフォア・バック ③試合練習
6月15日(水)の練習会メモ*初心者練習会
①スライスフォア・バック
②低い弾道の厚い当たり
③サーブ
④試合練習
*ナイター練習会
①フォアハンドストローク
②バックハンドストローク
③
ストローク戦
④ゲーム練習
13日のメモ、「前川頑張れ!・・・」が理解できた方は、多分、お若い。そうでない方のために、ちょっと解説しておこうと思う。
ナチ、ヒットラー政権下でのベルリンオリンピック、競泳日本女子初の金メダリストとなった前畑秀子の実況放送で20回も連呼されたという「前畑頑張れ、前畑頑張れ・・・」から頂いたものだった。
実況アナは河西三省。 僕の生まれる7年前の1936年のことであるが、この放送は何度か聞いたことがある。
200m平泳ぎに出場し、地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、優勝。 前回のロサンゼルス大会で銀を獲得し、意気揚々と帰国した彼女を待ち受けていたのは、「なぜもうひと頑張りして金を取らなかった」、というバッシングだった。
ベルリンで負ければ、死んでお詫びする、と本気で思っていたという。それを察してか、試合後に備えて、厳重な警護が付けられていたという。
バカバカしくも恐ろしい話である。オリンピックが、ナショナリズの高揚に利用され、協会などもそれに追随する。
前畑さんは被害者であって、彼女には何の罪もないが・・・。
国民はある意味、脅威である。 その56年後の1992年、バルセロナ大会で、14歳になったばかりの岩崎恭子が、優勝する。
ほとんど無名のスイマーで、決勝に残られればいい、と思われていた。彼女は決勝終盤で、恐ろしい爆発力を見せ、優勝間違いなし、と言われていた世界記録保持者のアニタ・ノールを追い上げ、見事に抜き去る。
出発時、地元沼津駅で見送ってくれた人は10人、凱旋した岩崎を出迎えた人は5万人。無名の恭子ちゃんが、世界の岩崎恭子になった瞬間である。
見送り時のタイムと、出迎え時のタイム差は3秒以上。この大会、予選で2秒以上縮めて日本新、決勝ではさらに1秒以上縮めてのオリンピック新記録。
前畑のタイムは3分3秒6、岩崎は2分26秒65と、56年のタイム差はおよそ37秒もある。 一緒に泳いだとしたら、大雑把な計算だが、岩崎がゴールした時、前畑はようやく150mのターンを終えて一かきした程度だと思われる。
この間の泳法、体づくりなどの進歩がいかにすごいかがよく分かる。
岩崎は、前畑のように金メダルを期待されての出場ではなかった。プレッシャーを感じずに全力を尽くせた結果だったのだろう。
14歳と6日での金メダル獲得は、今なおオリンピックの競泳史上最年少記録である。まだあどけなさの残る少女が優勝後に発した「人生で一番幸せ・・・」という優勝者インタヴューは、回想番組の度に流されたものだ。
前畑ベルリン優勝、「前畑頑張れ!」https://youtu.be/veGtPF6tfm4
岩崎バルセロナ優勝、
https://youtu.be/E6svdoPXeYo
岩崎バルセロナの奇跡をもう一つhttps://youtu.be/qWsHdKTbJ1I
6月13日(火) 合歓木もお目覚め
遅ればせながら、ようやく合歓木の花が咲き始めました。奥の木は12mほどの大木になっていて、これからが楽しみです。
練習会メモ*朝の基礎練習会
① フォア・バックのボレーコース狙い
② スマッシュコース狙い
③ サーブコース的当て
④ 2対2で、球出しからのフリーの対戦、1ゲーム交代
以上
黒を白と言いくるめようとする人、成功すれば、能力の高い官僚ということだろうか・・・。
企業においても、こういう人はおそらく高い評価を得るのだろう。これまでも、いろいろな企業で不祥事が続いてきた。それは今回のように、真実を隠し通そうとした結果が招いたものばかりだ。
いずれはすべて明るみに出る。庶民はそれほどバカではないぞ!庶民もお目覚めだ~!
前川さんの勇気に喝采 「前川頑張れ、がんばれ前川!」
6月12日(月) 凄いすごい凄い!ラファ!!
準決勝のティエムに続き、バブリンカにも圧勝。今大会1セットも落とさず、ぶっちぎりの優勝。プレーは終始、相手を圧倒した。
痛烈なスピンは容赦なく相手コートを抉り、絶えずプレッシャーをかけ続けた。「赤土の帝王」と呼ばれるのにふさわしい強さだった。
さて、こちらも頑張っております。今日も曇り加減のテニス日和。練習会メモ:*朝の基礎練習会:
①
フォア・バックの深いストローク
②サーブのワイド狙い
③
1対1のストローク戦、1ゲーム勝ち残り
④サーブからの1対1のストローク戦、1ゲーム勝ち残り
*ナイター練習会
①フォアハンド逆クロス
②バックハンドクロス
③浅いボールをアタック
④ゲーム練習 以上
前回メモの訂正 : 前回、ドクダミの5枚の花弁と書いたのは、間違いでした。花びらではなく、総苞片と言われるものでした。葉っぱが変わったものらしい。
ブーゲンベリアなどの鮮やかな花に見えるのも、実はこれだということです。
ドクダミの花の話、「5枚の花弁は珍しいけど、見つけました」…という話をラジオで聞いて、クラブにもたくさんあったな、と思い、ちょっと探したら見つけたものでした。
すぐに反応すると、こういう間違いを犯しますね。
最近は社会問題を扱っていません。興味はありますが、すぐに反応せず、行方をじっくり見よう、という気持ちです。
特に、準備罪は全く頂けない。与党の中に、反対の声が上がらないのは、この国の民主主義がおかしくなっている証左かな。
とにかくこういう類の人たちに、情報の管理を任せたら、絶対にイカン。
6月9日(金) 5枚花びらのドクダミの花
可愛い花をつけて、沢山咲いているどくだみの花。普通は花びら4枚だが、今日は5枚のを2輪見つけた。なんかもう少し可愛い名前にしてほしかった、・・・というのも勝手な人間の都合かな・・・いろいろ人間様に貢献してくれてきた草花だもんね。
今日もいい塩梅のテニス日和。練習会メモ:基礎練習会: ①サーブのコース狙い
②フォア・バックの基本ストローク
③2人対2人のストローク&ボレー
④2人対2人のフリー対戦
⑤ダブルス試合練習 以上
6月8日(木) 今日は快晴
昨日の雨が嘘のように、今日は快晴、蒸し暑いが風は吹 いているので、まずまずのテニス日和。
昨日の雨で、農家の人は一安心だろう。睡眠不足などでお疲れ気味のオイラにも恵みの雨だったかな。
さてフレンチの準々決勝、錦織の1セットはスパースター、2セット目からはマレーのタフネス披露パーティだった。
マレーもある時期は、何度も何度も挑戦を退けられて優勝に手が届かず、良くてベスト4止まりだった同国のヘンマンに続き、優勝できない選手と言われてきたが、そこを乗り越えて、ついにチャンピオンになった。
錦織にもこの厳しい道が待っている。険しい道だが、その道まで行ける選手はほんの一握りの選手に限られていて、まさに錦織はそこにいるのは間違いない。
ピークは見えてからが長い。本当の正念場だ。頑張りに頑張ってはいるのだろうから、幸運を祈るのみだ。
今日の練習メモ*午後の初心者練習会:
シングルスコート1人対ダブルスコート2人の練習を長い時間をかけてやった。
どこにどう打ったらいいのか、どう決めていけばいいのか、などを考えながら入ってもらった。 その後は4ゲーム交代のダブルス試合練習。
今日は15時半終了。
*ナイター練習会: 選手の希望を聞いて、それを第一にして練習することにしている。
①
フォア・バックのクロスストローク
②
1人対2人の1ゲーム勝ち残りのゲーム練習③対人ストローク、練習試合など 以上
2017年 5月
5月29日(月)
無知とは恐ろしいもので・・・
26日、かなり長いことメモしていなぁ、と思い、日付を見ると、前回が4月26日、丁度。1ヶ月経っていた。前日の蛍を思い出し、ちょっとだけメモしておいた
なぜにかくも長きにわたりメモ不在だったか少し弁解しておく。
無知とは恐ろしいもので、このホームページのソフトでは、改行には、ENTERだけでは不十分で、ENTER+SHIFTが必要だったのだ。それを知らず、ENTERだけで改行していたので、1行ごとにセルを作っていたらしい。
PCの動きが遅く、自由にならないので、人に聞いて、こうではないか?と教えてもらった。教えどおりやったらうまくいったので、すべてを修正していたのだ。
強引に、力技で何とか体裁だけは作っていたが、やはり行き詰まる。何事にも合理的なやり方というものがあり、そこを外して、力技で強引にやろうとしても、どこかで行き詰まるものだ、ということが身に染みて分かった。
この修正作業も、力技で、強引に修正していったのだけれど、今考えると、もっと簡単で、易しく修正できる方法があったのに・・・と少し悔やまれる。
少し立ち止まって、他人の意見も聞いてみたり、冷静に自分のプレーを見直してみたりすることも大事なことだと思う。
少し回り道のようには見えても、結局は近道になるのかも・・・。
これは、まさに自分自身に云い含めている戒めである。
5月26日(金) 楽しや5月の最後は初蛍
昨日、帰りしなに今年初めての蛍を見た。
ナイター練習会を終え、照明を消し、道路に出る。東の縄を張り、次いで西の縄・・・西側の進入路に4灯、蛍の光だ。かなりはっきり大き目、源氏蛍だ。そろそろだな、とは思っていたが、忘れずにやってきてくれた。
数週間前に、毎日現れて楽しませてくれたジョウビタキが、別れを告げに来てくれた。そう思ったのは、ほぼ1mの距離まで近づいて、逃げもせず、ちょこちょこと寄ってきてくれたからだ。
それ以後はまったくお目にかかれていない。きっと旅立ったのだろう。また来年、きっと来てくれるのを楽しみに、命永らえてやろうと思う。
我がファイナルでは寂しい気分になる間もなく、このコートの周りには沢山の草花や鳥たちが訪れる、無論、人も・・・・
気がつけば、5月もあと数日。雨も多かったが、5月晴れの日でも25℃前後で、テニスにはもってこいの5月だった。
僕らにも「楽しや5月!」であった・・・そういえば、周りの人に聞いてみると、この「楽しや5月」という歌を知っている人がほとんどいなかった。あんなに有名なのに・・・と思って調べてみると、何と文部省唱歌として教科書に載ったのが昭和26年というから、知らないはずだ。まだ生まれていなかった人がほとんどだ。
青柳善吾の訳は翻訳つながりで言えば、原詩にかなり忠実だという。
楽しや五月 草木は萌え
小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろ歩き
うれしや五月 光は映え
若葉の森に 小鳥うたう
そよ風わたる こかげ行けば
心もすずし そぞろ歩き小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろ歩き
この歌の元歌はモーツアルトの「春へのあこがれ」。1791年、子供雑誌からの依頼で作曲された晩年の作である。直前に完成したピアノ協奏曲の主題から転用したものだという。西洋の春は5月からで、一気に緑が芽吹き、鮮やかな春が訪れる。季節的には宮崎に比べるとかなり遅い春だ。
気がつけば、5月もあと数日。雨も多かったが、5月晴れの日でも25℃前後で、テニスにはもってこいの5月だった
僕らにも「楽しや5月!」であった・・・そういえば、周りの人に聞いてみると、この「楽しや5月」という歌を知っている人がほとんどいなかった。あんなに有名なのに・・・と思って調べてみると、何と文部省唱歌として教科書に載ったのが昭和26年というから、知らないはずだ。まだ生まれていなかった人がほとんどだ。
青柳善吾の訳は翻訳つながりで言えば、原詩にかなり忠実だという。
五月の歌を日本語とドイツ語で・・・
http://videolike.org/view/yt=ct%7Ch6RdDU6_
https://www.youtube.com/watch?v=cNgLpTLBEd
https://www.youtube.com/watch?v=cNgLpTLBEd
2017年 4月
4月26日(水) 翻訳命3 もうちょっとだけ
今日はミズ曜日、朝から雨、体を労わる日となった。
さて、翻訳についてこんなに入り込んだのは、僕が語学に興味があるからではない。全く逆で、外国語はまるきりダメ、努力した経験もない。
だから、すべて翻訳を頼りにするしかない。でも、僕がどんなに努力して、何とか逐語訳を果たしたとしても、それはとても翻訳などといえるようなものではないだろう。
「古池や蛙飛び込む水の音」を英語にする試みはいくつもあるが、それで芭蕉のこの句が伝わるかは、非常に疑問だ。
「古池や」と言っただけで、僕は木立の中の小さな庵、その庭にある苔むした池を思い浮かべる。
蛙が大きいわけはない。石の上の小さな蛙が池に飛び込む。ポチャンと小さな音がする。辺りの静寂を少しだけ破る。がすぐに元の静寂がおとずれる。
多少の違いはあるだろうが、多くの年配?の日本人は、こんな情景を思い描くに違いない。この最小の文章で、このような情景を外国人に伝えられるだろうか?
最近流行った「忖度」という語に相当する単語は英語にはないという。日常的には死語になっているこの言葉は、お役所、政界、古い会社などでは現役のようだ。
いい忖度と悪い忖度があるといった知事もいたが、まず、いい意味はない、と言った方がいいだろう。身分の下の者が、上の者の意向を酌んで、ご機嫌取りをするわけだから・・・。つまり、悪意はないので、誰も責任を取らなくていい、という思いやりに溢れた?言葉なのだ。こういう風土を理解しないで訳したとしても、不可解でおそらく外国人には意味が通じないだろう。
確かに忖度自体が悪いわけではないだろう。仮に、この学校が、誰もが拍手するような立派なものだったら、何の問題にもならなかっただろう。一番問題なのは、こんなひどい学校が忖度の対象になったということで、ここが一番の問題なのに、そこは問題にされていないように思うのだが、どうだろう。
この問題の根も深いが、深入りするのは止めておこう。
次からは、僕自身の翻訳問題の本題に入れるかもしれない
4月23日(日) 翻訳命2 「枯葉」 猿真似は威力
ファイナルの山肌に藤の花がチョコチョコと点在して彩りを添えている。4月はもうすぐ終わりだ。
クラブハウスの入り口通路付近には、2種類の白い可愛い花が咲いている。名前が分からないので、とりあえず「ファイナルホワイト」ということにした。木々の新緑もまぶしい。
こんな若葉の季節に「枯葉」もないだろうと思ったが、シャンソンのつづきでメモする、と書いてしまったので、少しだけメモしておこう。
「枯葉」はジョセフ・コズマが作曲したものに、ジャック・プレヴェールが詞を付けた。「夜の門」という映画の中で、まだ初々しいモンタンが、口ずさむシーンがある。映画もこの歌もヒットはしなかったが、すでに人気歌手だったジュリエット・グレコが歌いヒットさせた。モンタンの「枯葉」が世に出るのはその後のことである。
さて、やがてアメリカにも上陸するが、その時の英訳タイトルは、「Autumn
Leaves」である。これもまたビング・クロスビー、ナット・キング・コール、フランク・シナトラなど、多くの人が歌っている。
フランス語の元歌ではLes
Feuilles mortes となっており、死んだ葉、そして地面に積もっている落葉を北風が吹き飛ばしていく、という情景になっていて、楽しく輝いていた頃の甘い思い出を風が吹き飛ばしていくことと重ね合わせた失恋の歌である。
英語版の「枯葉」ではthe
falling leavesとなっているから、まさにひらひら舞い落ちている枯葉だが、ちょっと甘めで、全体的にも原詞とはかなり違った訳になっていると思う。
また、英語版では、歌の前説となるいわゆるヴァースの部分はなく、いきなり「かれはよ~」という部分に当たる「the
falling leaves」で始まる。
日本語の訳詞では、「風の中の灯 消えて行った幸福を・・・」で始まる中原淳一のものと、「あれは遠い思い出 やがて消える灯影も…」で始まる岩谷時子のものが有名だが、いずれもかなり意訳したもので、僕にはまるで別物に聞こえる。
僕にとっての「枯葉」は、多分、中学生の頃観た映画で、モンタンが黒いタートルネックのセーターを着て歌うシーンがあり、とてもカッコいいと思ったことに始まる・・・まではいいとして、何を勘違いしたのか、どうしても真似したい、と思ったのだ。
多分、当時のドーナツ版のレコードを買い、カタカナのフリガナが付いた歌詞を見ながら、一節一節、真似していったのだ。何度も真似しているうちに、自分の中では、フランス語らしくなった、と思えるように成って来た。無論、フランス語のフの字も知らない(今も同じ状況だが)時にである。
大人になっても、カラオケのない時代、仕方なく歌わされた時は、よくこれを歌ったものだ。英語の分かる人はたくさんいるので、拙い発音で歌いたくはないが、フランス語の分かる人はほとんどいない時代だ。無知とは恐ろしいもので、恥も外聞もあったものではない。(ただし、今のカラオケの時代には、さすがにこんな小真面目な歌は歌っちゃダメ、くらいの空気は読めていると思っている)。
演歌は勿論だが、フォークソングにしろ日本語の歌は、好きだの、永遠だの、恥ずかしくてやってられないが、外国語は、こちらも意味がよく分からないので、ほとんど恥ずかしさを感じない。まぁ、楽曲のハミングみたいなものだ。
また、フランス人の歌うシャンソンは言わば日本の演歌であり、やはり、ねっとりとしているようでちょっと抵抗があるが、モンタンはイタリア人なので、割とあっさりしている。その点も僕の好みに合っている。
フランス語らしく歌えるシャンソンはこの1曲だけで、今も意味はよく分からないが、わけもわからず、ただ猿真似で覚えたこの「枯葉」は、仮に今、一語一語単語を辿って歌ったとして、その代物と比べれば、はるかにフランス語っぽいと思う。猿真似というのは、バカにできないものである。
とって付けたようではあるが、テニスでもそれは言えるような気がする。どんな理屈をつけて覚えても、頭と体は別物だ。体に丸覚えさせるのが、一番の近道で、理屈は後で付ければいい。
翻訳については、別のことが頭にチラついて取り上げたつもりだったが、大きく逸れて、シャンソン談義、偶然にも恋の喜びを歌った「愛の賛歌」と、深い失恋を歌った「枯葉」という両極の歌を取り上げることになった。
テニスのオチもついたので、シャンソンのオモチャ箱は、これでとっととお仕舞。(でも翻訳はまだ多分続くよ)
イヴ・モンタンの「枯葉」
https://www.youtube.com/watch?v=gPJ9ZvPMf-Q&list=PLFlJ5YFl3qmOC28JHE9Do8eo5tKs9
_yO4&index=52
カタカナの枯葉
http://chansonzanmai.blog27.fc2.com/blog-entry-175.html
エディット・ピアフの「愛の賛歌」
https://www.youtube.com/watch?v=aPcHqDlROb4
4月19日(水) 翻訳命(1)シャンソン
4月7日のメモに、「僕らの聞く音楽はいずれにしても翻訳ものだ。」と書いているが、無論、音楽に限らず、
僕らが接する外国の文章のほぼすべてが翻訳だ。しかも、その翻訳の力が凄い。例えば詩の翻訳家は元の詩に啓発されて、創作をしている、と思ってもいいくらいだ。翻訳者の文学性あるいは詩心が、大きく問われるところだ。文学や詩に限らず、歌の訳詞にしてもそうだ。
例えばシャンソン、エディット・ピアフ自身が作詞した「愛の賛歌」。
越路吹雪が歌った岩谷時子訳詞の「あなたの燃える手で・・・」で始まるものが有名だが、これは原詩とかけ離れ、多少、やわらかく、甘めにアレンジしてある。
原詩はそんなに甘いものではなく、もっと激しく、命がけのものだとして、いろいろな人が訳している。
自身も歌手である松永祐子版では「たとえ空が落ちて
大地が崩れても 怖くはないのよ・・・」となっていて、こちらの方が原詩には近いと云われている。
自身も訳詞している美輪さんが、非常に怒って「ピアフは彼の恋人が死んで、それを悲しんで作った歌なのに、結婚式で歌うバカ(とは言わなかったかな・・・)がいる」と言っているのをインタヴューで聞いたことがある。
当時はそう云われていたが、後に、実は彼が死ぬ前に書かれたものであることが判明した。美輪さんに代わって弁明すると、多分、彼は時間的な後先よりも、そんな甘っちょろい恋なんかじゃないよ、文字通り命を懸けた恋なので、おめでたい式なんかで歌わないで欲しい、ということだったのだろう。
ピアフは歌手としては名声を欲しいままにしたが、その人生は生まれた時から非常に幸せ薄いものだった。 たくさんの男と恋仲になり、同棲と別れを繰り返す。
そんな
いろいろな出会いの中で、才能を見出され、スターダムにのし上がる。成功を収めた後も、後ろ盾となって、有名にするのに懸命だった恋人イヴ・モンタンが、「枯葉」で世に出て成功すると、彼女は静かに彼のもとを去る。
彼はといえば、その後、女優のシモーヌ・シニョレと結婚。モンタンはその後も浮名を流し、モンローとも恋仲になり、それが原因で、シモーヌは自殺未遂を犯す。けれど結局、彼女が死ぬまで寄り添った。
賛歌で歌われたピアフの恋の相手はプロボクサーで世界チャンピオンにもなったマルセル・セルダン。彼にはすでに妻子があったが、
優しい男であったらしく、「私の生涯で、本当に愛したのはマルセルだけ」と彼女に言わせている。
彼は試合に出るためにフランスからニューヨークに向かうが、コンサートで、すでにそこにいたピアフから、「早く会いに来て」と言われ、予定を変更して乗った飛行機が墜落、亡くなってしまう。(この飛行機には、庄司紗矢香さんをメモした時に、彼女が最も感銘を受けたバイオリニストとして挙げた、天才バイオリニスト、ジネット・ヌヴーも乗っていて、ピアニストの兄とともに亡くなっている。
セルダンを失った後のピアフは、交通事故にも遭い、酒と麻薬に溺れて苦しむ。
しかし、その後、奇跡の復活を遂げ、またステージで歌っている。
彼の死後、彼女は自ら彼の妻と会い、真実を話し、その後は仲のいい関係を保ったという。
彼女の生涯を追うと、かなり自堕落な人生のように見えるが、実は相当にストイックで生真面目な面があり、それがままならぬ実人生と齟齬をきたし、彼女の人生を苦しいものにしていった、という風にも思える。特に、歌に関しては厳しく、妥協は無かったという。
ピアフの生涯の救いは、最後に結婚した20歳年下で、彼女のファンだった
俳優テオ・サラポとの結婚だったのかもしれない。ピアフの財産目当てではないかなどと勘繰られたりしたが、事実はピアフは多額の借金を抱えていた。亡くなった後、彼は独力で返済しきったという。
翻訳の話が、またまたとんでもないところまで飛んでしまった。いっそのこと「枯葉」までいくつもりだったが、今日はお仕舞・・・(続くつもり)
4月8日(土) 春に3日の晴れ無し
「春に3日の晴れ無し」 とはよく言ったもので、本当にその通りだ。
これは、偏西風、とりわけ中心部の強烈なジェット気流というやつが、春、暖かくなると北上してきて、移動性の高気圧を素早く運び去ってしまうためらしい。この気流は秒速100mにも達するもので、あっという間に晴天を持って行ってしまう。
例年、3月、4月、5月は月間10日近くは雨だという。まぁ、そのおかげで作物は育ち、木々の緑が鮮やかになるわけだから、それもまた好し、ということだろう。しかし、近年、このジェット気流が大きく乱れ、気候に大きな変化をもたらすかもしれないといわれている。
気まぐれな気流の乱れは、僕らに恵みの水をもたらしてくれる台風や梅雨を遠ざけて、水源を枯渇させてしまい、生活にも大きな影響を与える恐れがある、とも言われている。
これは大変恐ろしいことである。しかし、それより恐ろしいことは、人間の愚かな過ちによって、人類の生命が根こそぎ奪われてしまうことだ。
化学兵器は確かに悪い。ならば原爆はいいのか?
化学兵器への報復だというが、報復なら許されるのか?
広島への原爆投下は、市民、子供達への無差別殺戮だ。これも報復だったとして許されるのか・・・。ベトナムでの化学兵器による無差別殺戮は許されるのか・・・
今日は雨の合間に結構たくさん遊んだ。疲れて足も痛い。
流れているBGM、ベートーヴェンのバイオリンコンチェルト作品61、いつもよりずっと物悲しく聞こえている。
2017年4月7日(金) 音楽はどこまでも運ぶよ
早や4月、宮崎の春はさっと来てあっという間に去る。
昨日は3分咲きだった裏の(表かな?)畑のソメイヨシノ、今日はもう7分くらい咲いている。雨の所為か少し寂しげではあるが・・・。
昨日は片言だったウグイスも、今日はしっかり標準語でさえずっている。生憎の雨だが、湿った小山の緑に木霊して、かえって瑞々しく聞こえる。
今日は練習会も雨で流れたが、時には雨もまた好し。ガット張りの内職に勤しんだ後は、またまた音楽を聴きながら、ソファーでお茶、とシャレている・・・つもり・・・。このところチャイコフスキーのオーケストラやコンチェルトなどを中心に聞いている。
クラシックというと、何かお堅くしょってるように思われるかもしれないが、当時のベートーヴェンは、今でいえば、完全に「ロック」、人々はその斬新さにおったまげたに違いない。まぁ、僕の感性はその時代から進歩していない、ということだろう。でも、絵画にしろ音楽にしろ、現代が当時を超えているか、と問われれば、「全然・・・」と答えざるを得ないだろう。
音楽は本当に不思議だ。時代を大きく超えてもなお、僕らの魂を揺さぶる。
折角だから、「生演奏を聴け」と勧められることも多いが、僕は意に介さない。僕らの聞く音楽はいずれにしても翻訳ものだ。指揮者や演奏家の解釈したものが、楽器という媒介物を通して届けられる。僕は専門家じゃないし、評論家でもない。単なる物好き。僕の頭の中には、大抵いつも何か音楽が鳴っている。それで十分、誰の曲で、誰の演奏かは、ほとんど問題にならない。
(ついでに、もう、旅にも山にも出かけなくていい。最近は酒も飲まない。)
僕はここを動かず、できるだけ多く聞きたい、と思う。
ここのソファーに座って外を眺めると、コートの向こうには杉木立、コートと木立の間には大きな柳があるが、先週はまだ枯れ木だと思っていたのに、今は新緑がまぶしいくらいだ。
その木立の向こうには空が広がっている。今日はどんよりだけど・・・。空(そら)、空(から)、空(くう)。「夢」の時も感じたが、同じ字でも、意味は全然違う。
仏教でいう空(くう)は難解なので、今日のところは置いておこう。
空(そら)のイメージは、きっと空っぽだったのだろう。この「空っぽ」というのが、また難しい。何もない、とはいったいどういうことか?そこではやはり、有るということはどういうことか、つまり「存在」とは?という問いになるのだろう。これも置いておこう。
空(そら)も今では空っぽなんかではなく、ぎっしり詰まった空間だということが分かっている。
さて、その向こうには、我々の銀河が延々と連なっている。そして更にその向こうには果てしない宇宙が広がっている。この果てしない我々の宇宙のその果てには、我々の知らない、多分別の宇宙があるに違いない、宇宙研究の最先端では、そういう問題も論じられているという。ここに座していても、空想は果てしない。
行くところまで行っちゃったので、これまで・・・(多分つづく)
2017年 3月
3月17日(金) オイラのオモチャ箱
ファイナルのクラブハウスは、相当雑然としていて、不快な思いをされている方も多いのではないか思う。これには僕も然り、と頷くしかない。ところが、僕はあまり気にならないし、逆に、整頓されすぎていると落ち着かない方なのである。
このクラブハウス内と同様に、僕の頭の中も雑然としていて、まるでオモチャ箱をひっくり返したような状態だ。僕には体系的な知識と言えるものはまるでなく、もちろん専門的な教養もない。時々の楽し気な興味や、見過ごすには忍びないもの、ちょっと文句をいいたいこと、心に残った音楽や身の回りの生き物、天体や宇宙、等などが、小さなオモチャの塊みたいに転がっている。いつでもこれらの中に取り込んだり、取り出したりして遊べる状態にしてある・・・と思っている。
このメモもふと思い出しては取り出して遊んでいるオモチャの一つなのかもしれないな~。
僕のそんなおもちゃ箱の底には、ひとつ大きな箱があって、普段は気付かないで済むように納めているが、時々は覗いてみたい気持ちにかられる。でも、その深さにたじろぎ、思わず後ずさりしてしまう。
中には小さな箱がいくつかあり、ちゃんとラベルは貼ってあるけれど、中身はほとんど空っぽだ。小さな箱の一つには「サルトル」のラベルが張ってある。
昨年暮れのメモ、ノーベル賞のところで、唯一の自発的辞退者として、サルトルの名前を挙げている。(辞退の理由は、「どんな人間も生きている間に神格化されるには値しない」ということだった。彼は他のいかなる賞も辞退している。)
サルトルの著作が難解であるのは確かだが、手に負えない理由の一つには、彼自身が社会参加していく中で、多くの変身を遂げつつ、自身の思索を深めていった、ということにもある。
アルジェリア民族解放戦線を支持したり、キューバの革命政権を支持したり、多くの民族解放運動を支持した。
次第にマルクス主義への支持を鮮明にし、ソ連の立場を支持していたが、ハンガリー侵攻やプラハの春に対する軍事介入、あるいは官僚の腐敗、堕落に失望し、その姿勢を転換する。最後にどの地点に到達したのかは、僕にはよく分からない。
しかし、幾多の変遷を経たとはいえ、それらはいずれも彼の実存主義的行動の一部であり、彼はあくまでも「実存主義者」であると思う。
サルトルは僕が生まれた年に、代表作ともいえる「存在と無」を出版している。ハイデッカーの「存在と時間」およびフッサールの現象学の影響を色濃く受けている、とてもとても難解な大著である。38歳、高校の教師であった。
1943年といえば、第2次大戦中のフランスは、ナチスドイツの占領下にあった。そんな時代に(そんな時代だからこそ・・・かな)、世間的には何の役にも立たない人間の存在という原理を追及していたのかと思うと不思議な気がする。
彼は38年前に、現在の僕の歳で亡くなっている。丁度、僕の38年先を歩んでいたことになる。僕は2歳で終戦を迎え、その後、戦乱には巻き込まれていないが、彼の時代は、まさに戦乱に翻弄された時代だ。だから、彼はまさしく、戦乱の時代に、本当に波乱に満ちた、冒険的な一生を送った勇者だ。
彼を語る上で、忘れてはならない存在が、彼の同伴者「第二の性」の作者ボーヴォワールだ。これに記された「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」というセリフは、この時代、女性解放に携わった人なら、誰でも読んだセリフだと思う。
二人の関係は『サルトルとボーヴォワール
哲学と愛』という映画にもなったが、かなり凄まじいものだ。2年間の契約結婚をするが、何人もの愛人を次々に作っていくサルトルと、契約だと割り切りつつも打算と愛情の狭間で苦悩しつつ、彼女の方も愛人を作りながら、しかし、結局は生涯を共にする。
この状況には、当時のフランスの階級社会、それとサロンを中心とした社交界の伝統という背景もあるのだと思う。
「年ごろの娘たちは結婚のために結婚する。結婚によって自由になれるから。」という文章もあるが、これはそのことをよく示していると思う。
女性は結婚するまでは、とにかくお堅くしていて、いい相手と結婚する。結婚するとある意味自由になれる。男も女も結婚に愛情を求めない。結婚はほぼ政略結婚という類のもので、有利な階級を手に入れる手段だ。上の階層では、結婚後の男女はサロンに出入りする。ここは自由恋愛、つまり不倫も文化であり、一種の美徳ですらある。サルトルもそういう時代の男であった。
「第二の性」は女が男から独立しない付属物として扱われていることに対する、痛烈な分析と挑戦である。男性社会に疑問を持つ多くの女性に、大きな影響を与えた著作であり、決して古くはない、現在でも一層鮮明に引き継がれている本質的な問題が語られていると思う。
(難しすぎて、あまり深入りしたくはないが、僕なりのオモチャ化ができて、いつの日にか続きがメモできるといいな、とは思う。)
以下に簡単な解説をリンク・・・
第二の性については、
http://www.syugo.com/3rd/germinal/review/0052.html
「存在と無」については
http://booklog.kinokuniya.co.jp/nakayama/
archives/2010/03/post61.html
3月3日(金) 山高きが故に貴からず・・・
3月1日のメモ(夢の話)、舌足らずだな、思ったので、少し書き足しておきたい。
夢というのは、山登りに例えると、目指す山頂をいうのだと思う。頂上を目指すには、力の限りを尽くす必要がある。しかし、天候や時間などの条件によって、頂上に辿り着けるかどうは、半分は運みたいなものである。
頂上を目指す際に、途中の木々の緑や、沢の水音や岩肌や、夜の星々の街では見られない輝きや、焚火の温もりや、そういう景色のすべてを味わいながら登らなければ、成功か失敗かの二択になってしまい、山登りの醍醐味が色あせてしまう。
山の頂上は結構すぐに飽きてしまうものだ。展望の全くきかない山頂もある。 長居するところではない、と思うのが普通だ。
「山高きが故に貴からず、樹有るを以て貴しとなす」 というのは山になぞらえた人間の話なんだろうけど、そのまま山と樹だとしても、その通りだと思う。
緑豊かな山の樹々は地下に水を貯え、渓谷を創り滝を創り、生き物を育てる。
それらの営みが山々を瑞々しく魅力あるものにしている。だから、山道は、その一歩一歩の過程を踏みしめ、味わい、楽しみながら歩くことが大切だと思う。
僕は味わったことのない境地なので、コメントするのもおこがましいが、想像でいうと、チャンピオンになったら、それを目指していた過程こそが一番充実した日々だったと思うのではないだろうか。
以前にも「夢」より「志」とメモしたことがあるが、その志すところが、「他人にも喜ばれる」ことであれば、言うことなし。
舌足らずが解消されていないかな・・・
夢を追いかけても、他人の邪魔をしたり、他人を傷つけたりばかりして、その過程が汚らしいものだったとしたら、その夢もまた色褪せたものになってしまうこと。つまるところ、夢は大事、だけど、それを目指す過程、日々の一歩一歩はもっと大事。そこにこそ楽しみがあり、それを味わい尽くすことの方がもっと大事、ということが言いたかったのかな。
3月1日 弥生の「夢」は・・・
「始まりは終わりの始まり」 「終わりは始まりの始まり」 これに関して、もう一つ連想したことがある。それは「夢」だ。
将来の夢、という意味でいうと、夢は一つの到達点だと思う。到達点に辿り着ける者と、挫折して辿り着けない者に分かれるが、いずれにしろその時点で夢は終わる。
終わった夢のつづきはどうなるのだろうか。次の夢、次の夢と駆り立てられるのだろうか。
満足に御飯が食べられなかった戦後すぐの状況では、満足に食べられることは夢のまた夢であった。しかし、それらが満たされると、次から次へと夢が続く。充分ということはないのだろうか。
オバマさんの「Yes, we
can.」 の反対語として「Let it be.」 と言うのを、ネットで見たことがある。やればできる!と、そんなに頑張らなくても、あるがままでいいじゃないか、というものだった。
こんな風に考えてみるのはどうだろうか・・・今、自分が生きて、今日という日を過ごしているのは、沢山の奇跡が積み重なって起きている本当に奇跡的な状況なんだと。今日を生きているということで、十分に夢がかなっているのだと・・・。
だから、この奇跡を生かして、今日という日を大切に過ごしていこうと。昨日の夢は今日かなった、今日の夢は明日につなげていこうと。
将来の目標は勿論大切で、それ無しには頑張れないかもしれないが、もう、今日を生きていることで、夢はかなっている、と考えた方が、はるかに楽しく生きられるのではないだろうか。
僕は見果てぬ夢にすがるよりは、一日一日を大切にすることの方が大事なことだと思っている。お前は爺だからそなことが言えるのだ、という声も聞こえないではないが・・・。
爺といえば、札幌農学校で教鞭をとったクラークさんの「少年よ大志を抱け」を思い出す。その後に「この爺さんみたいにlike
this old man」 という続きがあったという。爺さんと言っても当時彼は53歳だったというから、まだ爺さんとは言い難いが・・・。僅か8か月で去った農学校ではあったが、その影響力は大きく、たくさんの逸材を生み出した。
帰国後の彼は、その言葉通り、大いなる野望をもっていろいろな事業に手を出すが、失敗を繰り返し、失意のうちにこの世を去ったという。
話は変わるが、睡眠中のいわば幻覚ともいうべき「夢」と、将来のリアルな願望である「夢」が、同じ言葉でまとめられるのは、どうにも合点がいかないところがある。
あまり現実味のない空想というものを媒介にして、二つの「夢」が結びついているのだろうか。
こちらの「夢」は、フロイトにとっては重要な役割を持っている。抑圧された無意識下の願望が、いろいろな加工を施されたり、歪曲されたりして、夢として顕在化される時に受け入れられやすい形をとり、ある程度のストーリーに仕立てられる。そのストーリーを遡行していくと現実の問題が浮かび上がるということらしい。
しかし、理論の組み立てに飛躍があり、科学的と言えるかどうかは疑問だ。臨床的な心理学ということだろうと思う。脳生理学的なアプローチなどいろいろな研究があるが、夢というのは、まだ十分には解明されていないらしい。
夢、夢、夢か・・・今日は夢にうなされるかもしれないな。でも、コントロールできるわけじゃないし、ケ~セラ~セラ~
2017年 2月
2月27日 「終わりは始まり」の始まりなのだ~!
前回、ニャンコの日のメモが、「始まりがあれば必ず終わりがある」 と、強調した内容で終わり、中途半端になってしまった。それには続きがあって、「終わりがあれば必ず始まりがある」、ということもメモしたいことだったので、少しだけ続きをメモしておきたい。
「終わりは始まり」の始まりだ。というよりも、終わる前から、次の始まりが 始まっている、というのが正確かもしれない。
絶滅期に関しては、諸説あるようだが、いずれにしろ、完全に絶滅しているわけではなく、しぶとく生き残る小動物や地中深くにいるものや、海中深くにいるもの、微小生物など、運よく絶滅を免れるものもたくさんいて、それらが次の世代の生き物の世界を長い年月を重ねて形創っていく。
人間個人に関しても、例えば僕が死に絶えたとしても、僕が受け継いだDNAが子や孫に、DNAの情報として記録され、生き残っていくはずだ。ある意味恐ろしいことでもあるが、それが事実だろう。
だから、根こそぎ焼き尽くしたり、死に絶えさせたりしてはならない。テレビのニュースで、たしかカンボジアだったと思うが(特定せずとも、至る所で見られる光景になってしまったが・・・)深く長く掘られた溝に、白い袋に入れられた爆撃で亡くなった人たちを埋めていく映像があった。例えて申し訳ないが、頭の中で、鳥インフルエンザで処分される鳥たちと重なった。いつも鳥の殺処分の映像を見るたびに思う。これと同じことが人間に対しても行われてきたと・・・。
欧米のヒューマニズムは、先ず、その名の通り、人間様第一主義だ。しかも、都合の悪い人間は、人間と見なさない。人間ではないのだから、焼こうが煮ようがお構いなし、というわけだ。
西洋からのアメリカ大陸侵略に当たっては、現地人(インディアン)は人間として見なされていない。しらみに例えた大統領もいたという。奴隷も無論、人間として扱われていない。日本人もさしずめ類人猿の類とみなしたようだ。原爆で無差別に民間人を殺傷するのも、ベトナム人をナパーム弾で焼き尽くすのも同じ理屈だろうと思う。トランプさんのアメリカ第一主義が、こういう類のものでないことを祈りたい。
日本人もこれら欧米の猿真似をして、アジア諸国に対して、大変な殺戮と侵略を行った。しかも、この大戦についての日本独自の総括、裁判をしていないので、いつまでたっても宙ぶらりんだ。こんな状態では、孫子の代までいつまでも、謝り続けなければならないだろうと思う。
死に急がなくても、必ず死はやってくる。地球を痛めつけなくても、必ず終焉が待っている。もっとすべてのものを優しく、いたわりながら終焉を待ちたいものだ。
2月22日(水) 「ニャンにゃんニャン」の雨の日に
猫の日らしい。いろいろ考えるもんだね。ちょこっとユーマのことを思い出している。彼は僕を大いに癒し、猫好きにしてくれた。
好きなものが増えるということは、それだけで成長だと思うので、僕を大いに成長させてくれた。僕を成長させて、彼は逝ってしまった。短い時間だった。
今、彼はコートのずっと奥の木の根元の土の中で、冷たい雨に濡れているはずだ。
最近、縁戚の女性が東京で亡くなった。葬式はしない、という。
お悔み、香典の類も一切辞退するということで、近頃では珍しいことだが、それも「あり」だな、と思う。遺族には何の煩いもなく、弔意を表したい人にも、何も煩わせない。少し寂しい気もするが、潔い逝き方だと思った。僕もこれでお願いしようと思っている。
「何の為にメモなんぞしているのか?」 「答えは風に吹かれている・・・」なんて、便利に答えていたが、あるいは遺言を認めているのかもしれないな・・・大したことない上に面倒な遺言だが、まぁ、一歩一歩、踏みしめている足跡かな。雨が降り続き、人気はない。頂いたチョコレートを舐め、お茶を飲み、飽きもせず音楽を聴きながら、パソコンの前に座っている。
思うに、何物にも始まりがあれば、必ず終わりがある。どんなに不変に見えるものも、必ず終わる。
ただ、この「終わる」といういい方は、本当のところは適切ではないかもしれない。生き物としての役割を終える、と言うべきだろうか。
ざっくり過ぎる簡略化をすると、太陽の寿命は100億年、水素とヘリュームでできている太陽は、寿命の半分近くを生きて、余命は50数億年という。地球の親分は太陽だから、太陽が死ねば、地球は生きていられない。その前に太陽は大方の水素をほぼ使い、ヘリュームで余命を過ごすが、その時赤色巨星となり、200倍くらいの大きさになるという。
このとき、地球は飲み込まれる、という説と、飲み込まれない、という説があるが、太陽の巨大化とともに、地球の軌道が遠のき、飲み込まれないだろうという後者が有力のようだ。太陽はその後、白色矮星となり、小さくなる。最後には小さな塊になるらしい。
地球はもともと岩石や金属でできていて、生きているとは言い難いので、そのまま塊として残る、ということらしい。そういう意味では、終わりはない、というべきなのかもしれない。
人間の終わりだって、生命は尽きるかもしれないが、遺灰として残り、その後も分子や原子レベルでは形を変えて残り、消滅することは多分ないのだろう。だが、僕ら生き物にとっては、これはもはや存在しているとは言えないだろう。恐らく、太陽や地球にとっても、単なる塊となってしまっては、生きているとは言えないのだろう。
ざっくり地球の寿命をメモしてみたが、地上の生き物という観点からみると、もっともっと近くに死はある。およそ2600万年ごとに、生物の絶滅期があり、すでに12回の絶滅期を経験しているという。現在進行形の絶滅期は半分の1,300万年が経過しており、こちらはあと1,300万年で絶滅期を迎えるという。大部分の生き物は死に絶え、わずかに小さな生物や微生物が生き残る。先日、NHKの「コズミックフロントNext」でやっていた。「謎の凶星メネシス」の仕業だというが、細かなことは確かめられていないようだ。
ちょっと長くなり、収拾がつかないな~。このカウンターでの思い付きでは、メモ自体もかなり不正確かもしれない。続きをメモするときに、もう少し記憶を正し、チャンと調べて、訂正、修正を施すことにしよう。
いずれにしろ僕は死に、塊として存在し続けることだけは確かなことだろう。 (人気のない雨の夜、クラブのカウンターにて)
2月10日(金) ただ風が吹いているだけ
誕生日にフェデラーVSナダルの頂上決戦があり、ちょっと満たされた気分の余韻に浸っていたが、すでに10日以上経ってしまった。
ナダルは少しダメージを受けたようで、次のロッテルダム大会を欠場するという。十分休養して、また満足いくパフォーマンスを見せてほしいところだ。フェデラーはやはり別格の鉄人だ。今後も十分体調を整えながら、僕らのために活躍してほしいと思う。
今日も午後から強風になってきたが、昨晩に比べればかなり楽だ。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして・・・」というのは、元祖「君の名は」の冒頭のナレーションだ。このラジオ番組は昭和27年から2年間続き、夜8時からのこの時間帯は、風呂屋から女性の姿が消える、と言われた。
僕はまだ小学生だったから、興味は湧かなかったが、この放送劇の人気ぶりはしっかり記憶に残っている。佐多啓二と岸恵子で映画化され、こちらも大ヒットした。しかし、今では忘却の彼方に去ってしまい、「君の名は」といえば、新海監督の大ヒットアニメのことである。
「風」といえば、ボブディランの「風に吹かれて
blowin' in the wind 」
どれくらいの人が死ねばあまりに多くの人々が死んだことに気づくのだろう
友よ 「答え」は風に吹かれている 「答え」は風に吹かれている。
歌手というのは、何とも因果な職業だ。彼はこのフォークソングを「体制への抵抗歌」として作ったわけではない、という。しかし、抵抗歌として世界中で歌われ、大ヒットし、数々の賞を受ける。結果、反体制の象徴としての歌になってしまった。
何度も何度も同じ歌を歌わされては、辟易するだろう。彼は当然のように変貌し、ギターもアコースティックからエレキに持ち替え、バンドも様変わりする。
その結果、ステージに上がる度に大ブーイングを受けるようになる。
思うに、彼は普通の人である。だから、変わるのは普通の自然の成り行きだ。変わらないことを期待する方が無責任だ。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」
というのは、進化論のダーウィンの言葉である。
一般論として言えば、アーティストはいわばフリーターである。自分の感性に従いながら、しかし、食うために、多少の妥協をしながら、世間と折り合いをつけていくのは許されていい仕方のないことだと思う。
結果的に、彼は僕の期待を裏切って、ノーベル賞を受賞してしまった。これについては、彼なりの思いがあるだろうから、今はコメントをしないでおこうと思う。
風で忘れちゃいけないフォークソングがもう一つあった。はしだのりひことシューベルツの「風」。作詞は北山修だ。その詩の中に、「何かを求めて振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけ・・・」という一節がある。振り返っても何もない、ということだ。
またまた単純化して言えば、今、自分が立っている所に風が吹き抜けていく時、風が吹いてきた方向に問題があるのか、風が吹き抜けていく方向に問題があるのか?
風が吹いてくる方向(過去)に問題がある(規定されている)、というのがフロイトであり、風が吹き抜けていく方向(未来)に問題がある(規定されている)というのがアドラー、と言っていいのかな?
フロイトに救われる人も多いと思う。自己責任を一身に背負わなくてもいい。アドラーの場合は、すべて自己責任であるから、大変ではあるが、過去のしがらみからは自由である。
多分、両方あるだろうというのが、僕の感想だが、処世術のレベルではどちらも有効に機能する場合があるのだろう。アドラーには以下のような言葉がある。
人生が困難なのではない。
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生はきわめてシンプルである
人は過去に縛られているわけではない。
あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。
過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう。
カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない。
相手を支配するために、怒りという感情を
創り出し利用したのだ。
変われないのではない。変わらないという決断を自分でしているだけだ。
陰口を言われても嫌われても、あなたが気にすることはない。相手があなたをどう感じるかは相手の課題なのだから。
あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。
今日はノルマ的にメモってしまった。自分で自分を縛るなんて・・・俺は何を気にしているんだろう。答えは、ただ風が吹いているだけ・・・(便利~)。
2017年 1月
1月31日(火) トランプ旋風
今日はとても穏やかなテニス日和。こんな日に旋風のつづきなんて・・・とも思うが、気がついた時メモしておかないと、すぐ忘れるので、明日はない、と思ってメモしておこうと思う。
まずトランプ旋風だ。就任そうそう、忙しく吹きまくっている。ほんのちょっとだけ期待感があったのは事実だが、就任した閣僚の顔ぶれを見ると、「トランプよ、お前もか!」と言いたくなる。結局、こういう筋のマネーやパワーに支えられていたのか・・・そして、彼らのために働くのか・・・。
しかし、今はじっと彼の政策を見守るしかない。矛盾に満ちたこの旋風は、どういう方向に流れていくのだろうか?
僕のやくざ論で漫画化すると、「もう、大親分は止めた、普通の親分になって、配下の者だけ面倒を見るから、周辺の親分たちは、適当にやってくれ。ただし、うちのシマにちょっかいを出したら、ただでは済まんぞ!」というところだろうか?
威勢はいいが、大親分からの廃業宣言だ。それはある意味、結構なことだと思う。いろんな国にちょっかいを出し、火種をまき散らしてきた国だ。それが無くなるのなら結構なことだと思う。
とは言うものの、経済主導のこの大親分は、金になると思ったら、戦争も厭わないのではないか?という心配はある。何せ、この国は、世界最大の債務国から、世界最大の債権国になり得た「第1次世界大戦」の経験を持つ。戦争は金になる、ということを熟知した国だ。
多分、日本が大親分を失うことはないだろう。こんなに忠実な子分はいないだろうから・・・。彼らもこの忠実な子分を失うことは、大きな損失だと思うだろう。世界の平和に貢献する、という願いからは遠いが、そのことはこの島の住民一人一人に課せられた課題だから、じっくり、ゆっくり、しかし確かに一歩を踏みしめていく覚悟が必要なのだろう。
夕方の空はまだ青い。杉並の上半分が、夕日で輝いている。この穏やかな空気が、一日でも長く続くように願わずにはいられない。
1月29日(日) 梨寿なり
メモりたいことはたくさんありますが、今日は真面目におとなしくしておこうと思います。
昨日、波寿(はじゅ=なみ寿=73寿)を卒業し、大変おめでたく?梨寿(りじゅ=なし寿=74寿)に相成りました。無論、波寿、梨寿ともに勝手なでっち上げです。波乱の多い波寿になるかと思いきや、あちこち痛い以外には、何の波乱もなく、自宅とクラブを往復しただけの365日でした。
何日持つかは分かりませんが、みなさんのお力添えを頼りに、この歳の人生を創っていきたいと思います。
ありがたいことに、何年ぶりかのフェデラーとナダルの全豪決勝が始まっています。フェデラーが1セット先取し、2セット目はナダルリードの展開です。すぐに帰って、試合に入り込みます。なんとも思い出深い決勝になりそうです。
1月27日(金) 旋風から妄想の連鎖
いたるところで旋風が吹き荒れている。トランプ旋風、全豪オープンでは、マレーもジョコも破れ、フェデラー旋風が吹き荒れる。錦織はいい試合をしたが、フェデラーが凄すぎた。仕方ない。
旋風とはつむじ風のことで、「つむじ」とは旋毛、つまり、オツムのてっぺんの小さな渦巻に見える部分と思えばいいのかな。ただし、その「つむじ」の語源については諸説あり、辻(道が十字に交差するところ)から来たとする説、「つむ」と「じ」からなるとする説など、はっきり断定できる説はないようだ。要するに「小さな竜巻」くらいにしておこう。
この「言葉を言葉で定義していく」という作業は、止まるところを知らない。深入りすると、また元に戻るか迷宮入りをするかどちらかだ。この「迷宮」の使い方だって、正しいのかどうか?・・・
迷宮といえば「クラシックの迷宮」という番組がNHKにあり、再放送も時々あるようだ。言葉は気にはなるが、適当なところで「何となく分かった」程度で落とし前をつけないといけない、所詮、市井の輩には背負えない代物だ。
「風」の話を続けよう。唱歌にはいろいろあるが、クラシック音楽には、風をテーマにしたものが、意外に少ない、というか、ほとんど聞かない。わずかにドビュッシーとかに、あるにはあるそうだ。西洋の風は日本の風と違って、明るく、春風のイメージが強いらしい。よく演奏されるという「ベルリンの風」というのがあり、何とも快活だ。日本人のイメージする風とはだいぶ、趣が違うような気がする。
ドイツ人パウル・リンケ作曲の行進曲「ベルリンの風」を聞いてみた。熱気球に乗って月世界に行き、歓待される、というファンタスティックな筋書きのオペレッタの一部らしい。
アバドの指揮で
https://www.youtube.com/watch?v=IzgA5phK2yk
小澤さんのベルリンフィルもあったので愉快な演奏を・・・
http://ameblo.jp/123blogishii/entry-12121908470.html
ポピュラーでは、いきものがかりの「風が吹いている~」ってのもありましたね。
https://www.youtube.com/watch?v=7cIKxP9q0eg
その他にも沢山あるね。
https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/
wind-songs/2
木枯し吹き荒ぶ今日この頃だったが、本日は穏やかな小春日和。風の話は昨日までだったかな。初めメモしたいことからは随分逸れて、最初のイメージは風と共に去ってしまった。何だったのか思い出しながら、メモは続けなくっちゃ!
1月14日(土)
夢のつづき
10日のメモに「続く」と書いたので、続きをメモしなくっちゃ・・・と思ったはいいが、はて、何を続ける気だったのか・・・。多分、軍隊に関するメモだったのだと思う。
僕は「国家=やくざ」論者なので、当然、軍備は必要だと思っている。国家が存在し、縄張り争いが絶えない以上、自衛のための軍備は必要に違いない。
どんな小さな動物にもファミリーがあり、ファミリーが生き延びるために、縄張りを確保する。ファミリーが肥大化し、エサが不足すると、他の縄張りを荒らし始める。
人間の歴史も、これと変わるところがない。油断すれば、たちまち縄張りを奪われ、路頭に迷うことになる。だが、そこは人間だ。ちょっとは知恵を働かせて、お互い助け合い、分かち合いながら、平和に暮らしたいものだ。
日本は折角、最高の憲法を持っているのだから、これを足場に、
①決して海外には派兵しないこと
②先制攻撃はしないこと
③原爆などの大量破壊兵器は持たないこと
④しかし、自衛のための軍隊はこれを十分に備え、専守防衛に徹すること
以上のようなことを世界に宣言し、日本の立場を明確にし、かつ最大限の外交努力をして、世界の平和に貢献することを国是として、世界と仲良く付き合っていくことを目指す。
これらが初夢に終わらないように切に願いつつ、残り少ない人生、しっかり見守っていきたい。
1月10日(火) 白日の逆夢
ちょうどトランプさんが大統領になるので、いい機会だ。彼は「アメリカ第一」と声高には発声しているが、アメリカは今までも、いつだって「アメリカ第一主義」だった。これまでも、これからも、まったく変わることはないだろう。
パクス・アメリカーナと言われてきたが、表面上の意味は「アメリカの平和」。しかし、「アメリカの平和を目指す世界戦略」がその内実だ。日本のアメリカ軍事基地はアメリカの平和のためのものであって、日本のためのものではない。
今回は全く立場を変換する、という妄想をしてみたい。
まず、アメリカの立場を中国、韓国、ロシア(いやフランスでもいい)、などと置き換えてみよう。
もし、中国が日本に駐留し、都市圏の制空権を握っていたら・・・あるいは沖縄に軍事基地を持ち、治外法権のような特権を持っていたとしたら・・・。これは完全に日本が中国の占領下にある、ということだろう。中国が日本を守ってくれる、と思う人はいないだろう。他の国に置き換えても同じことだ。
もう一つ、「沖縄と日本」の状況を「ハワイとアメリカ」と変換してみたい。
現状とは逆に、日本がアメリカの全土に亘って、各地に日本の軍事基地を置き、とりわけハワイに大軍事拠点を構築し、一帯の制空権を握っているとしたら・・・
あるいは、その一部には日本人がビザ無しで自由に入り込めるとしたら、・・・こんなことが独立国であり得るとしたら、それは、まさに占領以外の何物でもないと思う。そうでないとしたら、それはきっとおとぎ話だ。ましてや、日本がアメリカを守ってくれる、と思う人は皆無だろう。
僕はアメリカが嫌いで言っているわけではない。むしろ、アメリカも日本も相対的には結構いい国だと思っている。
ただ、政府、アメリカやマスコミなどの多くからばらまかれているおとぎ話のような情報に操られて、このまま突き進んで行ってもいいのだろうか、と心配なだけだ。
沖縄は大戦中、日本の捨て石にされたが、その状況は今も同じだ。以前にもメモったが、これは沖縄の問題でもアメリカの問題でもない。日本人一人一人に突き付けられている厳しい問題だと思う。(まとまりをを欠いたので続く)
1月1日 明けまして どうぞ
おめでたい年でありますように
元日は休日にしたのですが、結局、クラブハウスに来ております。
可愛いベートーベン(メヌエット)と干支の合うものがなく、1時間くらい彷徨った末、ようやく見つけたのがこれです。これはハ長調のメヌエットです。
https://www.youtube.com/watch?v=ysTFvvij6gU
ト長調のメヌエットの方が有名なので、演奏重視ということで、あと2つリンクしておきます。
アントルモンのピアノで https://www.youtube.com/watch?v=F1BMtZ92GnE
アンサンブルでも演奏される機会多いので、イ・ムジチ合奏団の演奏で
https://www.youtube.com/watch?v=SIu9aIP3XDQ
12月はず~っとベートーベンのピアノコンチェルト5曲を聞いていたが、さすがに五目飯続きでは、白米も恋しくなり、20日くらいからまた、ピアノソナタに戻って、ず~っと聞き流している。
32曲を連続で流してくれるフリーのサイトが見つかったので、これだな・・・と思って流し続けている。この巨人はローティーンの頃、すでにピアノソナタをいくつか書いているが、それはこの番号が付く前のものである。
彼は、まだまだたくさんのピアノ曲を作曲しているが、ピアノソナタは、交響曲、協奏曲などと並び、巨大な山脈の中で、大きな山塊を形成している。
32曲を聞き流していると、およそ10時間半余に及ぶ、壮大な抒情詩に接していることになる。これを毎日流していて、今のところ飽きることがない。BGMとしてはモーツアルトが最高と言われてはいるが、今の僕にはベートーベンの10時間半が最高である。
所々で、聞きなれた荘厳なメロディが流れてれてくるが、8番の「悲愴」までは、本当に軽やかで可愛らしい曲がつづく。14番の「月光」、17番の「テンペスト」、21番の「ワルトシュタイン」、23番の「熱情」、そして29番の最後の砦「ハンマークラヴィーア」へと続いていく。
8分くらいのものから、この29番のように40分を超えるものもある。
何番になっているか気づかずに進行していくが、これら聞き覚えのある個所で、今何番で、何時間くらい経っているな・・・と見当がつく。
聞くだけでもなかなかだが、演奏は何万倍も大変だろうし、作曲はまた、その何万倍も大変な作業だろう・・・こんな労苦を厭わず、僕らに至上の恍惚を与えてくれる巨人がいてくれて、本当に感謝、感謝である。
独善的なプレゼントですが、良かったら、ちょっとだけ聞いてみてくださいね。
https://www.youtube.com/watch?v=MMap6-xncG0
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