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10月1日
宮崎はコロナ休眠中
早、10月。
自身のメモとして、現時点での宮崎県のコロナの状況をまとめておこうと思う。
9月14日、一人の感染確認後、15日から今日10月1日まで17日間、感染確認0が続いており、宮崎の感染警報レベルは0(持続的な警戒)に引き下げられた。
累計感染確認数は365名、退院者数は363名。
現在入院中の患者は1名、残りの1名が死亡者だ。
感染者の割合が最も高いのが40歳台の22%、続いて50歳台、30歳台で、この年代だけで、全体の半分以上、53%を占めている。
働き盛りで、他人との接触が多い世代なので、うなづけるところだ。
僕の属する70歳台は5%と10歳未満の2%に次ぐ低さだ。
この世代は結構自由気ままに生活し、ストレスフリーなのかもしれない。
大都市では一進一退を繰り返しているようで、劇的な終息状況は見えていないようだが、ここ宮崎では、少なくとも現状は、ほぼ休眠状態といえるだろう。
陸の孤島と言われてきたのが、利点として働いたのかもしれない。油断することなく、この冬に備えることが大切だと思う。
10月からテニスの大会も普通に開催される。中学生も高校生も大会が開かれる。
大人も子供も、大いに楽しんでいただきたいものだ。
お月さんがきれいだとメールに添えて教えてくれた人がいた。満月は明日だが、今日のお月さんも十分に大きくて美しい。お月さんをプレゼントしていただいた気分だ。
最近は北斗七星が真北、壁打ちコートの上に沈み込んでいる。コートの真上にドーンと輝いていた頃とは随分と趣が違う。 これも季節の流れなのだろう。
残念ながら、雲がでて、輝く星空とはいかないが、外は冷たいくらいに涼しい。
よっ、スポーツさまの季節到来だ!
8月17日 ディスタンス : 間
先週末、金曜からの3日間は、雲一つない青空だった。
14日金曜日は、夜遅くまでナイトゲームがあったので、消灯したのは22時半頃。
空を見上げると満天の星。
雲がなく湿度が低いと街の光が反射しない、新月に近く月あかりもない、本当に暗闇である。
夏の大三角を貫く天の川。
久しぶりに、たなびく天の川をしっかりと見た。
おびただしい数の星々、多分、5等星くらいまで、僕の目にもはっきりと見えた。
天が高く、宙(そら)って感じ。
今、ナイトゲームはダブルスをやっているが、このところほぼ満杯で、いろいろなペアがいて、見ていても面白い。
コートも空も、ずいぶん得した気持ちで、家路についた。
星といえば、このところオリオンのペテルギウスが暗くなり始めていて、多くの天文学者がかたずをのんで見守り、世界中の天体望遠鏡が、その一瞬を待ち構えていたらしい。
「超新星爆発」だ。
しかし、やがて明るさを取り戻し、一段落。
爆発するとなると、満月の100倍くらいの明るさが3か月も続き、一大イベントとなるらしい。
生きてるうちの見られたら超ラッキー!
まぁ、100年後かもしれないし、1000年後かもしれないが・・・。何せ天文の世界の話だから、100年なんて一瞬だ。
このぎっしり詰まったように見える星々の間は、それでも途方もなく広い。超々ディスタンスだ。
このディスタンス、ずいぶん使われた。
人間の間のディスタンス。
そもそも人間の「間」はディスタンスだ。人がなぜ人間といわれるようになったのか、諸説あるようだが、深入りは避けよう。
人と人の「間」、はとてお大切だ。
エドワード・ホールという文化人類学者が、人間同士の心理的距離には4種類あると言っている。
①45cm以内の密接距離、
②そこから120cm以内の個体距離、
③そこから350cm以内の社会距離、
④さらにそれ以上の公共距離。
コロナで言われるソーシャルディスタンスというのは③に当たる。
確かにこの距離感は、対人の信頼関係に大いに関わりあるな、と思えるものだ。
物理的距離と心理的距離感というものはうまくマッチしている。
自分の領域に踏み込んでくると不快感を覚える関係もある。コロナによるソーシアルディスタンスは、この距離感をより一層鋭く感じさせてくれた。
「間」、というのは時間、空間のほかに心理的なもの、心間ともいうべきものがある、と思う。
親しくもなく、見ず知らずなのに、ずかずかと踏み込んでくるSNS。
こいつは何とかならないものか?
7月29日 1か月ぶりのタワゴト
宮崎でも感染が拡大している。これからさらに劇的に拡大するかもしれない。
Go
to
トラベル が打ち出されたとき、大きな危機感を持った。経済を回すのは大事だし、観光業が痛手を受けているのも事実だろうが、このタイミングで先ずトラベルはあり得ない、と思った。
その危機感から、超ささやかな我がクラブでも、何らかの対応が必要だな、と思い、22日、また以前の厳しい制限を取ることにした。
計らずも、翌日から連日の感染が報じられるようになった。 何か月も20人以下で凌いできたのに、あっという間に、一日でこの数字を上回るようになった。
go
to トラベルではなく go
to インフェクト(感染)にまっしぐらとなってしまった。
こうなることを予想してゴーサインを出したのならたいした内閣だ。
しかし、その後の慌てふためきぶりをみると、やっちゃえ!といってスポンサーのご意向に沿ったとしか思えない。
この間、ず~っと権益と忖度で営業してきた内閣だ。
後釜はどこの党の誰でもいいから、この人たちだけには任せたくない、と思う。とにかく一度、退いてほしいものだ。
6月29日 無事生還!2か月振りのメモ
4月29日にメモして以来、ちょうど2か月ぶりのメモだ。
この間、いろいろあり過ぎた。簡単にメモれるかどうか?
その前に、17日、土曜日のニュースで報じていた人助け猫の話を・・・
富山県で60台の男性が、用水路に落ちて身動きできないでいたのをじっと身動ぎもせず、見つめていた猫に気づき、5人の大人が助けた、というお話。
なんと、その猫の名前が「ココ」、画面に映された猫の顔が、ファイナルにいた「ココ」にそっくり。
少し大人びていたけれど、生きていればこのくらいだったかもしれない。あの世に行っていたと思ってたけれど、何と富山県で生きていたとは・・・ということにしておこう。
何となく、ほっこりとさせられたニュースだった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02710ab6587829ed
450163a66ebfd4c9ed59de1c
このところ、知人で亡くなる人が多い。
昨年、余命3か月、年を越すのは難しいと宣告された東京の友人。持ちこたえて年を越し、今年の3月、家族全員に見守られて、自宅で息を引き取った。71歳になる誕生日その日だった。
癌が全身に転移し、仕舞には手の施しようがなかったが、彼は最後までいわゆる治療は行わず、緩和ケアに徹したようだ。
自身の選択で、穏やかな死を迎えられたことが何より良かったと思う。
僕も何となくホットしている。
彼は「犬猫じゃあるまいし・・・」と奥方の父に言われて、望まない結婚式を挙げたそうだ。しかし、自身の死に際しては、自分の思う通りの選択をした。
僕の方は「犬猫のように結婚し、犬猫のように死んでいく」と決めている。ただし、これは本当の我がままで、それを他人に勧めたり、要求したりは決してしない。あたり前なことだ。
だが、悩ましいのは、他人が結婚式をしたり、葬式をしたりする時に、どう対応したらいいのか? ということだ。
式に参列することは、それを推奨する1票を投じたことになり、大げさに言えば、その側に立つことになる。
この問題はいろんなところで遭遇する。
世間の様式に流されるのは、悪いことではなく、自分の方式が分かるまでは、むしろいいことだ。
世間さまには歴史と伝統という積み重ねがあり、そうそう間違いはない。
しかし、自分がそうしたくない、という事案について、世間に流されてそのままいることは、その世間の側に立つことになる。
そして、ぼくと同じ思いの人に対して、今度は「それはだめだよ」という圧力の一人になる、ということだ。
僕の場合、義理と人情を欠く、どうしようもない人間だと世間に認知されているし、この歳になると、「年寄りの冷や水」ということで許されやすいが、若い時にこれをするのは大変なことだ。
だから世の中は変わらない。多くの人が、「これはまずい」と思っていても、蛮勇はなかなか奮えない。そして世間に従うことになる。
最近の政界や官界、芸能界などの辟易する話は、周りの人が皆、流されているからではないだろうか?
さて、コロナは世界的にはまだピークにさしかかりつつあるところだが、少なくとも宮崎ではずっと休息状態だ。しかし終息したわけではなく仮眠状態なのだろう。油断せずに取り組むことが必要だと思う。
こんな話をメモるつもりじゃなかったが、こうなってしまった。流されたかなぁ・・・
4月29日 僕のコロナ対策
この間、ファイナルとしてはどう対応すべきか、小さな頭を思いっきり膨らませて考えてきた。
この自然に囲まれた屋外のテニスコートで、テニスをしている限りでは、感染のリスクはほとんどないだろう。 しかし、休んでいる間、クラブハウスの中で食べたり、話をしている時間はリスクがないとは言えない。
感染した事例をみると、何らかの会食がからんでいるケースが多いように思う。お互いにマスクを外し、唾液のいっぱい出る飲食時、対面して会話をすれば、感染のリスクは極めて大きい。
クラブに日ごろから出入りし、動静がある程度わかる人の間では、リスクは低いが、あまりよくわからない人が入り込むと、何とも言えない。
不特定多数では感染経路の追跡も難しくなる。
感染者が一人出た場合、クラブをたたむだけなら容易いことだ。しかし、その時出入りしていた十数名の人、その人たちが接触した百名を超える人たちが、何らかの拘束を受け、仮に感染が拡大することになれば、それは耐えられないことだ。
公営コートが閉鎖されている間は、いろいろな人が入ってくる可能性がある。排他的だと言われようと、そこはしっかりブロックして、今までクラブで楽しみ、クラブを支えてくれた人の健康を最優先して守る必要がある・・と決めた。
人がグループを作れば、必ず排他性は生まれる。クラブを作った時から覚悟していたことだ。
これらの思いの結果が、しばしば掲示してきた条項の中身だ。これで不快な思いをされた人のいることは承知している。お許しを願うしかない。
さて、宮崎でのコロナ状況だが、感染確認者は依然として17名、入院患者は8名に止まっているそうだ。
およそ県民6万人に一人の割合で感染し、13万人に一人が入院という勘定だから、本当によく頑張っていることになる。
検査数は840人程度で、50人に一人が陽性ということになる。
検査数が圧倒的に少ないことに不満だが、抗体検査も含め、検査自体の精度があまり高くなく、検査結果が判明しても、治療法が確立していないので、効果が薄いということらしい。
抗体検査とともに、その結果が誤ったメッセージを示してしまうかもしれないので、これも効果のほどが疑われる、という。
限られた人的能力の使い方として、不満はあるが、ある程度納得するようにはなった。
(しかし、依然として、現状の全体像の把握、このウィルスの特性を知る上では、この2つの検査数を増やすことは必須のことだと思う。すでに遅すぎるが、早急に手立てをしてほしい。)
一般的な注意事項、手洗い、うがい、マスクの着用と、いわゆる三密を避ける、とりわけ対面での飲食、会話を避けること。あとは適度な睡眠を確保すること。
いずれにしろ、日頃から、一人ひとりが自身の健康に留意し、微妙な体調の変化に気づき、免疫力を高めておくこと、これらに尽きるようだ。
大雑把にいうと、ワクチンも含めて、7~8割程度の人が感染し、抗体を持てば、ウィルスは生き延びられず収束すると云われている。
そういう意味では、宮崎はまだまだこれから厳しい季節を迎えるのかもしれない。長い戦いが予想される。
しかし、この厳しい状況を受け入れ、どっしり構えて日常化して、普通のことにしてしまえば、きっと乗り越えられると思う。
とは言え、現状が本当に苦しい人もたくさんいると思う。
政治を預かる人はしっかりと支えられるよう、手を差し伸べてほしい。
最終的には、世界的に解決していかなければならないことだが、まず自分のところから、できることにしっかり取り組みたいと思う。対策というほどのものではないが、とりあえず、今の思いをまとめてみた。
4月12日 戦争か革命か パンデミック
2月から依頼していたコートの補修、4月7日に取りかかり、9日に完了した、長い辛抱だったが、こちらは一安心。
安心できないのが、ますます深刻になっていくコロナの蔓延。この間の自身の反省も含め、現在の心境をまとめておこうと思う。
正直、豪華クルーズの感染以後の波及辺りまでは、特殊な状況だし、ちょっと厄介なインフルくらいの認識しかなかった。 しかし、国内感染が増えていくのを目の当たりにして、こりゃすごいことになりそうだ・・・と思い始めた。
これからの僕の感想は、門外漢の独り言に過ぎず、正直なだけの感想に過ぎないもの。ご容赦のほど・・・
最初の段階での政府発表やマスコミの報道は、かなりオリンピックを意識したものだったし、対応の仕方もそうだった。これが初動の遅れを招いた。
日常的な情報の隠蔽、隠匿はここでも例外ではなかった。
一昨日、TVで「新型コロナ瀬戸際の攻防、最前線からの報告」というのをやっていた。
厚労省の一室で行われている専門家30人による「クラスター対策班」の活動を映し出していた。そこには対策チームの切迫した対応の様相が映し出されていた。
確かに大変そうで、顔には疲労が表れていたが、少し違和感を覚えてしまった。
密閉・密集・密接を避けよう、といいながら、密室で、かなり接近して、マスクもせずに会話している。
このチームは確か、集団感染群を追跡し、潰していこうという戦略を打ち出している。そこに力を注ぎ、ウィルス検査に重きを置いていない。
現在、日本のウィルス検査は、検査数が圧倒的に少ない。だから、感染者数とか言っても、正直、全く信用できない。検査をしないのも一種の情報隠蔽じゃないのか?
今回の新型は発症しても軽症で、まるでゲリラみたいに潜伏し、見えないけど攻撃してくる巧妙ウィルスだ。
実際の感染者は発表数の10倍か100倍はいるだろう、というのが世間の正直な感想ではないだろうか?
緊急事態宣言後に発表された対策、懸命に考えてくれてはいるのだろうが、ありがたい!という感動を与えてくれるものではなかった。一体、どこを見て政治をしているのだろう?
30万支給案にしろアベノマスクにしろ、ほとんど賛同の声を聴かない。誰の声を聴いて政治をしているのだろうか? これが民主主義といえるのか?
この間の対応の稚拙さで、安倍さんもトランプさんも、政治家としての無能さを露呈してしまった。トランプさんはまだ「朝令暮改」の特技があるので、挽回の余地があるかもしれないが、安倍さんにはプライドがあり救いがない。
「ウィルスは世界、国家、自治体、組織などのあらゆるシステムを変える力がある」、と言われてきたが、まさに、現実を炙り出し、よりまっとうな方向を指し示す星座たりうるのかもしれない。
大きな犠牲を払うわけだから、元に戻るだけじゃ本当に犠牲が大きすぎる。
この機会に、自分の日常を見直し、家族、学校、会社、自治体、国家などなど、今まで通りでいいのか、ということを考えていきたいと思う。
たとえば、学校の休校にしても、なぜそうなるのかを先生も生徒と一緒に納得いくまで話し合ってほしい。先生と生徒の関係も変わるのでは・・・?
ここまでは一昨日のTVを見ての感想だが、その前、帰りの車の中で、ラジオで聞いた番組から、抱いた感想をメモしたい。高橋源一郎さんが
「パンデミック・インフルエンザ研究の進歩と新たな憂い」(アルフレッド・W・クロスビー著)
という本を紹介していた。
およそ100年前、人口20億の時代に5億人が感染し、死者1500万~1億ともいわれている通称スペイン風邪、巨大パンデミックだ。
死者にこんなに開きがあるのは、これまで、ほとんどまともに研究されてこなかったから・・・
1918年、第一次世界大戦の終戦間際ころから 世界的に大流行したインフルエンザ。日本人も人口5500万の時代に50万程の人が死んだという・・・。
現在に置き換えると宮崎県民の全員が亡くなった数になる。
PC前に座り込んでいたら、かなり冷えてきた。
これについては、次回・・・、いつになるやら・・・・
3月30日
雨もまたよし!
3月も残り1日。久しぶりの雨。
昨日は5分くらいだった前のソメイヨシノは、雨に打たれながらもほぼ満開だ。ウグイスのさえずりも聞こえる。
少し冷えるが確かに春だ。
毎日コロナの話ばかりだが、これからもかなり続くだろうな。
僕自身、初めは高をくくっていたが、中国、アジアを超えて欧米にまで、すさまじい勢いで拡散していくのを見て、これはただ事ではないな、と思い始めた。
この状況の行く末は、誰にも分からないのだろうが、まるで世界大戦の様相にさえ見える。
何しろ世界を劇的に変えてきたのは、戦争と疫病で、一方の大敵がやってきているのだから。
お互いに、足の引っ張り合いをすることなく、しっかり足を地につけて、自分のできることを誠実に実行すること、それがみんなのためでもある、と自身に言い聞かせている。
とはいえ、いや、だからこそ、日常の何気ない生活がとても大事だと思う。
ということで日常に戻そう。
3月は公営コートが閉じていて、ファイナルにもその余波が押し寄せたので、少し疲れた。でも、公営コートが開いたので、少しゆっくりできそうだ。
さてと個人的なことを思いっきりこじつけて云うぞ。
今年77歳になったが、77繋がりでいうと、現在の世界人口がほぼ77億。ついでに大雑把に拡張しよう。先進国の人口は減少傾向にあるが、アフリカの一部を中心に、世界的には毎年1億人くらい増加するそうだ。(この地域は、今でこそ世界のお荷物のように思われているかもしれないが、この先、この巨大な労働力が、世界を救うような時代が、必ず来るだろう。)
僕の余命は平均的にはおよそ10年余。喜寿(77)から米寿(88)まで。そのころ人口は88億人というわけだ。万が一100まで生きられたら100億人だ。
さすがにそれはだいぶ無理があるので、せめて平均少し上の卒寿(90)を目指すとしよう。おやじが92、おふくろが88だから、卒寿を目指すのは無理な夢とも言えないだろう。
米寿までテニスをして、卒寿でユルリとコロリ、枯れるように朽ちていく、そんなささやかな夢を見ていくことにしようかな。
もう一つこじつけると、今年はベートーベンの生誕250周年に当たる。(それで、昨年暮れ頃から、ベートーベン浸りである)。
250年前だから1770年生まれということだ。
それからちょうど200年後の1970年に僕は結婚した(できた、幸運にも・・・多分)。
250年ということは、そこから50年ということで、僕らは運よくキンコンカンを迎えたことになる。あらゆる式典の好きでないカップルなので、何もない50周年だ。
辛抱も根性もなく、おまけに人情も薄い僕が、ここにこぎつけているのは、間違いなく辛抱強く、根性もあり、人情豊かな相棒のおかげである。密かに感謝しておこう。
ところで、僕のおよそ夢みたいな夢をかなえるためには、先ず、目の前のコロナを乗り越えなければならない。皆さんの夢も一緒にして、お互いじっくりと辛抱して、乗り越えましよう。
今日は久しぶりの雨らしい雨。大きな音でベートーベンを聞いている。
久しぶりに交響曲の1番を何度も聞いた。ピアノソナタ8番(悲愴)と同じ29歳頃の交響曲。満を持して世に問うた初めての交響曲だ。モーツアルトの名残が確かにあると思えるが、はつらつとした美しい作品だ。
そのあとピアノ協奏曲5番(皇帝)を聞いている。
いつ聞いても心を底から揺さぶり、奮い立たせてくれる名曲。
雨もまたよし!
3月17日 再び冬の星座
2月9日以来のメモです。
この間、世間は新型コロナ一色。
絶対に正夢であってはならない白昼悪夢を見た。
動物などから新型のウィルスを採取・培養し、密かにこれに対するワクチンや治療薬の開発をする。
時機を見てこのウィルスを世間に拡散させる。
蔓延し始めたら、株価は暴落する。
株は底と思われる時期を見て爆買いする。
ワクチン開発成功、治療薬完成という情報が出れば、株価は急上昇。薬と株で、瞬く間にボロモウケできるに違いない。
こんなことは絶対にないだろうが、戦争の種を蒔き、機に乗じて武器を売りつけるという、人の命を何とも思っていない武器商人がいるくらいだし、アヘンを売りつけてぼろ儲けし、それができなくなるといちゃもんをつけて戦争を起こす人たちがいるくらいだから、こんな悪夢が現実にならないという保証はない。
なんて不謹慎な悪夢をメモしてる途中でネットを眺めていると、アメリカがこれのワクチンを一人占めしようと、いろいろ画策している、というニュースが出ていた。
やはり、金儲けの種にしようという輩はいるもんだな・・・これが哀しい現実なのか?
また、ウィルスでは大騒ぎするが、戦争や飢餓で何万もの人が死んでいくことには、慣れっこになっていて、世間はとても冷淡である。
*これ以下の数行、「グローバル化」について部分は極論に過ぎ、もう少し丁寧に見ておかなくてはいけない、誤っていたと思うので削除、ついでに続く部分も重複して煩わしいのカットしました。*
少し気分直しをしよう。
昨日の夜、ナイターの照明を落として夜空を見上げると、春とはいえ風が強く、まるで木枯らし・・・空は冴えわたっていた。 コートの真上、中央にドーンとでっかく北斗七星が鎮座し、反対側の南西にはオリオンがくっきり。中の三ツ星を右にその10個分くらい辿るとプレアデス星団(スバル)がある。
やったー!と叫びたくなるほどきれいだ。
以前、引用した(2013年12月)「冬の星座」という唱歌を思い出した。
その歌詞の2番に「オリオン舞い立ち スバルはさざめく 無窮を指差す 北斗の針と・・・」という一節がある。
まさしくオリオンは舞い立ち、スバルはさざめいている。あざやかな北斗は本当に無窮を指差しているようだ。スバルは数百からなる散開星団で、さざめく、という表現がぴったりだ。
作詞の堀内敬三は、僕が小学1年生の頃始まったNHK「音楽の泉」の最初の解説者で、たくさんの有名な曲を作詞している。ラジオの音楽の泉は、シューベルトの「楽興の時」で始まる。現在も続いているというから、70年以上のロングランだ。
特に待っていたわけではないが、日曜の朝に慣れ親しんだ明るいメロディーが流れてきて、何となく耳を澄ましたものだ。
話は飛ぶが、この休校の間に、週に一度くらい、一斉に消灯する、星空タイムがあるといいな~
ファイナルは周囲が森で、空が開けている。それでも街の明かりが漏れてきて、真っ暗というわけにはいかない。
灯りがなければ、満天の星空を居ながらにして味わうことができるのに・・・子供たちも無限の宇宙と繋がることができるのに・・・これも夢想かな?
ともあれ、僕ら庶民は、あまりに膨大な情報に押し流されることなく、日々を誠実に、お互いを思いやりながら、暮らしていくしかないのだろうな。
2月9日 大いに辛抱しますよ
相変わらずのコート状況だが、工事が4月にずれ込むことがはっきりしたので、この2か月近く、何とかしのがなくちゃならない。
とりあえず応急処置をして、怪我のないようにしなくちゃ。
アスファルト用の両面テープで、抑え込もうとするけれど、風が砂を運び、芝を巻き上げるのでどうにもならない。
昨日、皆さんの力を借りて、しわを伸ばしたけれど、掃除機で取り除いたすぐそばから砂が入り込む。
だましだまし、少しずつやるしかない。
ちょっとだけ頑張ったので もう少しで終わる。
後は4月まで辛抱するだけだ。
ところで、辛抱って、何するんだろう?
何もしないでいるってことか?
ずっと前に、辛抱についてメモしたことを思い出した。うんと昔のような気がしていたが、2015年の11月14日というから まだ5年もたっていない。
「辛抱は朝日待つ間の雪の竹」 という俳句を引用している。一応、その時のメモをリンクしておこうかな。
ここの11月14日のメモにある。
因みにgoogle検索でこの俳句をを入れてみたら、何と2番目に出てきたのでびっくり・・・いい加減なものをUPすることの怖さを感じますね。
この年 2015年は、1月・3月・6月・8月・11月にそれぞれ1本のメモしか書いていないのに、12月には突如、24日から大晦日まで、怒涛の8連発メモをかましている。まったく何を考えているのやら・・・
さて、辛抱の続きだが・・・
我慢も辛抱も仏教用語からきているという。
我慢は戒めるべき七つの慢心、七慢の一つで、文字通り我の慢心、驕り、自惚れである。
自我を張り通し他を拒むことによって抱え込んでしまう忍耐が我慢かな?
辛抱は心法からきていて、心の使い方といったところかな?
我慢の限界という言葉があるように、我慢は自己で閉じており、長びくと爆発する。
一方、辛抱の先には希望があり、未来に開かれている。
「我慢はするな、辛抱はしろ」と言われるのもそういう意味合いかな。
何やら禅問答みたいになった・・・大いに辛抱しますよ。
1月30日 テニスのお爺さま です
年が明けると直に歳が上がる。
昨日、僕の年は上がり、自分でも驚く
77歳、喜寿です。
喜という字の草書体が七十七と読めるところから喜寿としたと云われている。
この歳になると、お祝いをしていただくなんて思いもよらず、ここまで生かしていただいたことを感謝することが本筋だろうと思っていたが、いろいろとお祝いしていただいた。
いちいちはメモしないが、すべて心に刻んでいる。本当にありがたい。
さて、この機会に、大雑把にクラブの道筋を辿ってみることにする。
まず、50でクラブを立ち上げ、還暦で細江にコートを構えた。
古希までは何とかなるかも・・・なんて思っていたが、そこもクリアして、次の目標は喜寿まで・・・と、漠然と目指していた、多分・・・、そして・・・
特に努力をするわけでもなく、ここまで来てしまった。
皆さんのお力添え以外の何物でもない、というのが本当のところだ。
だけど何となく一里塚をおいて、一歩一歩、歩んで来たんだな、という自分なりの感慨はあるかも知れない。
さて次なる一里塚は・・・風狂の僧一休宗純の短歌に、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」、とあるように、冥土に近づいていることは確かだが、その前に一つ一里塚を置くことにしよう。
とりあえず傘寿だな。
70と80ではひどく印象が違う。超ジジイに思える。 だけどそこまでは何とか「テニスのお爺さま」でいられる幸運を願うとしよう・・・。
他力本願だが、無論、皆様のお力添えは不可欠である。お願いいたしまする。
今日のところは心より感謝の意をメモして、これだけに止めておこう。
2020年1月14日 好事間 多し
「今日もコートに来てしまった」と書いた翌日、つまり元日もコートに来てしまったので、結局、毎日コートだ。
特に欲しい物もなく、何処か行きたいところもなく、ココに来て、静かに時間を過ごすのが、僕にとっては至福の時なのだろうと思う。
樹々を眺め、小鳥たちの鳴き声を聞き、空や雲や星空を眺め、時に音楽を聴ければ、おっと忘れてはならないテニス仲間の元気な姿に触れれば それで十分だ。
箱庭みたいな小さな空間だが、居ながらにして宇宙と繋がる気分だ。
元日以来、幸いにも暖かく晴天の日が続き、順調なスタートが切れていたが、8日(水)、突如予期せぬ嵐がきた。
お昼頃 来てみると コートは一変していた。何事が起きたのか・・・手前2面のコートの間のサイドライン外側がすべて捲れ上がりテーブルなどは吹っ飛んでいる。台風が来てもこうはならない。 おそらく局所的につむじ風が襲ったのだと思う。
一人ではどうにもならないし、業者さんもすぐには無理だ。
幸い、11日土曜日、コートにいた男性6名の協力を得て、7名で「よいしょよいしょ」とやって、何とか元のさやに納めた。
皆さん顔を真っ赤にしながら、懸命に力を振り絞っていただいた。
お客さんをこき使って、申し訳ない限りだが・・・テニス仲間に感謝感激である。
奥の2面は全く無傷だが、今日、14日現在も状況は同じで、何とか使えるという状態。
目下、業者さんと交渉中だが、この時期忙しいらしく、すぐにというわけにはいかないようだ。
焦らず、待っていよう。しばらく不自由をおかけするが、ごめんなさい、よろしく・・・とお願いするしかない。
幸先良いスタートが切れ、暖かい晴天続き・・・、だが「好事魔多し」とはよく言ったもので、「そうは問屋が卸さない」
だけど、テニス仲間がこんなに力を貸してくれると知ったことは、大きな収穫だ。
「好事 魔多し」も「好事間 多し}と書き換えると、かなりポジティブに思える。好事の間は結構多いものだ。
ならばその好事の間を楽しみ尽くそう。魔は一瞬だ。普段の好事は日常的にある。魔はやり過ごし、好事を楽しもう。
2020年はそうしたいな。
2019年12月31日(火) 感謝満杯!
2019年最後の日、今日もコートに来てしまった。
ガットの張り残しが3本あり、年内に仕上げとかなきゃ、と思い、暇をみて駆け付けた。
コートは休業にもかかわらず、了解済みだったメンバーが使用したようだ。
風は強かったが、一点の曇りもなく晴れ渡っている。
周りを見渡して一番驚いたのは、確かに昨日は数十個は残っていた柿が、全くなくなって本当にゼロ個になっていたことだ。
風で吹き飛んだのかな
と周辺を眺めても一個も落ちていない。まさに完熟しておいしいデザートになり、小鳥たちの胃袋を満たしたのだろう。
年が明ければ、あんなに群れていた小鳥たちの姿はそこにはないのだろう。どこかで腹を満たしてくれればいいのだが・・・。
腹を満たすといえば、この暮れに、お腹を空かせて彷徨っている人たちも少なからずいることだろう。前々から思うのだが、職を失い困っている人たちをすべて公務員として預かってはどうだろうか?
公務員の質が落ちるという心配があるかもしれないが、お役人の今日のありようを見ると、あの程度の質なら大丈夫だろう、彼らより真面目で信頼できるかもしれないぞ・・・。
さすればお金が出回り、心配せずに消費に回る。インフレになる心配があれば、ダブついたところから徴収すればいい。
年明けの夢はこれだな。絶望的な願望なので、まさに夢。
また政治がらみになってきたのでこの辺で止め。
2本張り終えて、ソファーでラーメンすすりながら、チャイコフスキーを聞いている。誰にも気兼ねなく、思い切りボリューム上げている。
今では疑いもなく名曲として演奏されることの多い彼の代表的な曲、ピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、交響曲悲愴など、いずれも初演は大変不評で、彼を失意に追い込んだという。
聞き手や演奏家が追い付いていない、それだけ先を走っているということなのだろう。
早熟の天才が多いこの世界で、彼は珍しく二十歳を過ぎて、確か役所などに勤めた後、音楽を目指したという。
始めるのに遅すぎることはない。好きなことをやり続けることだ。
なんて、偉そうに書いたところで、急に体が冷えてきた。
暮れになって珍しく熱が出て、体に力が入らない状態が続いたが、昨日は熱もなく、今日は平熱に戻った。
前回書いた余命宣告を受けた友人からメールで近況報告があり、2回の思い出作り旅行を終え、小康状態を維持しているという。本当にうれしい気持ちで年を越せる。
この一年、多くの人から、暖かいご支援の手を差し伸べていただいた。歳と体を気にかけていただいて、大事にしていただいていることを実感している。
いい気になって甘えさせていただいている。ありがたいことだ。今年もうれしい気持ちで年を越せる。 感謝満杯である。
どうかよいお年を・・・
2019年12月13日
完熟なのに未熟
もう師走も半ば、今年は暖かい。今日はナイトゲームがなくなり、少し時間ができたので、近況を思いつくままに、久しぶりのメモだ。
晩秋からコート周りには、赤系の色が目立ち始めたが、もう、すでに少し朽ち始めている。
玄関先には、今年もサネカズラの実がぶら下がり、サザンカの花が寂しげに咲いている。
昨年亡くなった猫の「ココ」ちゃんが眠っているすぐ上にも、2輪、やさしく咲いている。
先日、先の台風で倒れた柳の奥に回り込んでみたら、犬の「ファンタ」が亡くなり、子猫の「ユーマ」が亡くなった時、彼らが生きた証にと思い、葬った盛り土の上に植えた樹が、それぞれに大きく伸びていて、周りの樹と判別できないほどになっていた。
この木は確かに彼らから養分をもらったはずだ。
晩秋はなんとなく侘しい。何故だかしらないが、今年もヴィオロンの溜息に耳を傾けている。
この歳になると、親類縁者・友人などに訃報が多い。
つい数日前、まるで兄弟みたいにして育った従兄弟が亡くなった。隣に住んでいて、小・中・高と同じ学校の同学年。小さい頃は毎日のように遊び、よくケンカもした。
大きくなると、男の兄弟はそうベタベタにはならず、少し敬遠しがちで疎遠になるものだ。高校辺りからは友人も違い、それぞれの道を歩いていたと思う。
大人になり、ほとんど付き合いもなくなった。彼は東京に、僕は宮崎に住み着き、日常会うことはなくなっていたが、彼は毎年のようにお盆のころに帰郷して、僕の家を訪ねてくれた。
今年は珍しく音沙汰なかったので気にはなっていたが、多分、高校総体で混み合っているので、敬遠したのかな?くらいに思っていた。しかし、そうではなく、かなり参っていたらしい。
僕より元気で、東京から車で帰って来ていたので、てっきり僕より長生きすると思っていたのだが・・・。
もう一人心配な友人がいる。数少ない東京時代の心の友で、僕より少し若いが、余命数か月といわれているという。
本の虫で、天職のような図書館に配属された頃は、本当に生き生きとしていたように思う。
何年か後、違う部署に配転になり、急速に元気をなくしていたが、自分なりにたくさんの本を読み、僕たちにそのレポートを送ることで、新たな生きがいを見つけていたように思われる。
彼からはたくさんのことを学び、僕のささやかな好奇心を刺激し続けてくれている。彼の健康と幸運を祈るばかりである。
去年、通りの小さな柿の小枝を一輪挿しに入れていたが、ほぼ一年、仕舞にはミイラのようになってもなおしぶとく、一つだけ小枝にぶら下がって残っていた。
生きているものはすべて死ぬが、無になるわけではない。
今年も同じように、また一枝、新しいのを挿している。
クラブの柿は豊作だった。ただし渋柿。低いところの実だけ少し頂いて、いろいろ試してみた。渋抜き・・・
焼酎、ウィスキー、冷凍・・・手抜きの渋抜きなので、完全に抜けたとはいえず、残念ながら人様にはお出しできない代物。だけどウィスキーなどは、その香りが残り、僕は乙な味だと思っているが、家人には受け入れ難いらしい。
樹の高いところの実は10メートルを超えるが、すでにたくさんの実が熟しきっていて、小鳥たちの格好のデザートになっている。渋柿も超完熟になると渋が抜けるらしい。
超完熟の実のところだけ食べに来る。
最近は特にメジロが多く、樹には数十羽もいる時がある。渋でも超完熟だと旨いらしい。
僕もそうなりたいものだと思うけれど、歳だけは超完熟なのに、一向に渋が抜けない。
いや、まだまだ未熟だということなのだろう。
今年も未熟のまま無事終わりそうだな・・・。
2019年9月28日 やっと9月が終わる
前回のメモが8月27日、せめて1ヶ月以内には、と思っていたが、とうとう1ヶ月を過ぎ、28日になってしまい、9月もあとわずか。いろいろあった9月だったな。
9月はお天気に悩まされた。台風と前線のせいで、天気の
読めない日が続いた。それも決まって週末に崩れた。ヤナギが倒れ、フェンスをなぎ倒した。
ファイナルの金曜のナイトゲームはまったくできなかった。
天気に文句は言えないので、一喜一憂せず、無理せず、大人しく従った。
なにせ2時間余りの試合なので、少しでも中断があると成立しない。
ヤナギの倒木を整理し、倒れた8本のフェンスも修復して、これからの秋のシーズンへの備えは万全・・かな?
無論、工事したのは業者さんだよ。ユンボを入れて4日掛かりだった。
この間、僕は何をしていたかというと、このホームページの改装なのだ。
今春からスマホにして、わがホームページを眺めると、見づらいことこの上ない。
何とかスマホで見やすいようにと、全ページを改装した。何しろほとんど知識のない仕事なので、時間のかかることかかること・・・
内容は少しも向上していないのだが、少しは見やすくなったと思う。
ここにも面倒なことはあまり書かないように努力しようかな・・
さて迎える10月、気分一新 晴れ晴れと行こう!
2019年8月27日 ヤナギが倒れた
前回のメモは7月2日、実に56日ぶりのメモだ。 この間、九州総体、九州ジュニア、インターハイなどとジュニアの大きな大会があり、ファイナルのコートも随分、利用していただいた。
特にインターハイでは、多くの高校の選手が居ながらにして見られ、有意義な期間だった。
その後、台風10号が宮崎にも襲来、ファイナルはかなりダメージを受けた。 台風の翌日、たしか16日、クラブに来てソファーからいつもの景色を眺めていると、奥のヤナギの木がいつもより低い。 まさか・・・と思い、傍まで行くと、なんと根元からコート側に倒れ込んでフェンスを押し倒している。
コート周辺では、一番の大木で、コートの奥に鎮座して、我々に大きな緑の安らぎを与えてくれていた。
不幸中の幸いは、プレーに大きく影響するほどは、侵入しなかったこと…
大きな枝を大胆にカットして樹を小さくし、幹を中心に起こして支えようかとも思ったが、もう十分に働いてくれたので、お仕舞にしてあげることにした。
なんだか自分のことを語っているような気持にもなるが、自分は少しも働いていないので、まだまだお仕舞いにはしないつもりだ。 ファイナルにヤナギなんかあったの? と思われた方は、恐らく 「しだれ柳」 を連想されたと思う。
ヤナギには柳と楊があり、しだれるのは柳、つまり枝垂柳、しだれないで上に向かって立っているのが楊、ファイナルのは楊の方だ。 ヤナギは300種以上もあり、日本にも30種以上あるそうだ。
全米オープンも始まり、宮崎での大会も沢山続いていく。大きな関心事に違いない。 だけども 問題は ファイナルのタオレヤナギをどうするか・・・だ。
2019年 7月2日 梅雨枯れ時の助手席論
7月の声を聞いても、梅雨はますますお盛んだ。
周りの木々たちは、たっぷり水を蓄えて、生き生きとしている。しかし、湿り気たっぷりなのに、僕のお天気商売はあがったりの「梅雨枯れ」。
週末から雨あめ雨あめですね。降り方も尋常ではなく、本当に読みづらい雨です。 土砂降り中に、この後も雨の予報なので、「今日は無理でしょうね」と電話応対。
ところが、やってきてしまったジュニアの練習は、ほとんど降られることもなく無事終了。
お断りした人、「ごめんなさい」です。
梅雨枯れに乗じて、久しぶりに、本業のテニスメモ
です。ダブルスのパートナーについて・・・。
ダブルスのパートナーは云わば、「お互いに相手の運転する車の助手席にいるようなもの」かな・・・。
アクセル、ブレーキやハンドル操作などのタイミングが自分とは微妙に、或いは大幅にずれる。
助手席にいると、自分も運転しているような気持
になるので、ついつい口が出る。
助手席に関するアンケートで、NGなのは「運転
スキルに対する文句」。
パートナーにはその人なりのタイミングがあり、居心地のいいポジションがある。それを助手席からいろいろ言われるのは相当の耳障り。(このことに関しては、僕にも相当の覚えがあり、今は心しております。)
運転手が助手席に望むことは、「楽しく上手にコミュニケーションをとり、ある時は必要なナビゲーターになり、心地よく運転できるよう心配りをすること」
だそうだ。
これらは、すべてダブルスのパートナー論として成り立つかな・・・
一旦、試合に臨めば、初心者も上級者も、みんな心しなければならないことかもしれない。
長々としゃべり続けることも、助手席でのタブーだそうだ。
なので、この辺で・・・
2019年6月14日
植物の細胞は全能性だぞ~
昨日、コートに来て驚いたことが2つ・・・一つは合歓木(ネムノキ)が一斉に開花して出迎えてくれたこと、
二つ目は、それとは逆で、クラブハウスのコート側の壁沿いに咲き誇っていたドクダミが影も形も無くなっていたこと。
気をきかせて雑草の整理をしてくれたらしい。近年の僕には、雑草という概念がない。生えているものは、すべて等しく大切な 植物だ。
でも、植物はありがたい。概ね全能性細胞(いわゆる万能細胞)でできているらしく、間違いなく再生する。
ココはその後どこに葬られているのか、と聞かれることがあるので、どこにどうしているのかをメモしておきたい。
ココの遺体は息絶えたその場に、横たわったそのままの姿で葬られている。上にたくさんの枯葉をかけ、更に土と砂を乗せ、上にビニールシートを被せ、さらに枯葉と土と砂をかけ、その上に生の枝葉を被せて葬った。
穴は掘らず、土を盛った、という感じだ。 それだけでは少し寂しいので、自己満足ではあるが、その脇にガクアジサイの挿し木をした。 花の少ないこの季節、ファイナルにある数少ない花、東の崖のネムノキの下に自生している白い花だ。
うまく根が張ればいいのだが・・・
この挿し木、枝から根が出て花も咲く。まさに全能性細胞だ。
ドクダミも少しでも根の切れ端が残っていると、見事に再生する。だから、ちょっとの間待てば、ドクダミは戻ってくる。
不生不滅なんて大袈裟に言うまでもなく、ごく自然にそれをやってのけているわけだ。
だから、切り刻んでも大丈夫(でも除草剤はいけません)
彼らは人間より偉いかもね。
ドクダミは西欧などでは、わざわざ栽培しないと自生はしにくいらしいが、ここ細江ではコート周りのあらゆるところに自生して、今、真っ盛りである。
ネムノキの下のガクアジサイ周りにも群生している。 普通、ドクダミの花弁は4枚だが、同じところに3枚のものと5枚のものがあって、3・4・5枚が共存している。
(1週間ほど前、珍しいと思って撮っておいた写真を左欄に掲載)
実は花びらに見えるこの部分は、総苞片という葉の変化したものもので、その中央にあるツクシンボウみたいな、とんがり帽子の部分が花の集まりだという。
名前とは似つかず、清楚な姿で群生している。日なたと寒さには弱いようで、その点はガクアジサイと似ている。
雨は今も降り続いている、植物には恵みの雨だが、明日はちょっと休んでくれないかなぁ・・・
2019年6月4日 不生不滅
不垢不浄
不増不減
梅雨入り、テニスには鬱陶しいが、恵みの雨でもある。
さて、 1月26日のメモに以下のように記している。
「11中旬頃、前の道端に垂れ下がっていた柿の小枝に、小さな柿の実がなっていて、これは可愛いな、と思い、一枝拝借した。一輪挿しに放り込んでいたこの小枝、今日現在も生き残っている。
元々、5センチ足らずの小さな実が、更に萎んで皺くちゃになり、そのまま2個、4枚の枯葉と共に鎮座している。なかなか渋いオブジェである。
自分の姿を見ているようでもあり、ちょっと愛おしくもあり捨てがたい。 ずっとこのままにして、どうなっていくのか見届けようと思っている。
どの状態が死んだといえるのだろうか? 少なくとも僕の中では、今、まだ生き残っている。」
この柿のオブジェは、あれから5か月近く経つのに、まだ生き?残っている。葉っぱは1枚になったが・・・。
ガラスのテーブルにはコード類が絡まっていて、これが柿の一輪挿しを何度も倒した。その度に、葉っぱは剥がれ落ちて一枚だけ残った。柿は依然として2個、小枝にしっかりしがみついている。
カラカラになっていて、ほとんどミイラ状態だが、やはり生き残っているとしか言いようがない。
一輪挿しの方は、倒れた時に口のところが何か所か欠けてしまい、少し哀れな姿になっているが、それでもまだ依然として一輪挿しである。
般若心経の前半、「色即是空」の何節か後に「不生不滅 不垢不浄 不増不減 (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)」というのがある。
死んでいる、生きている、というのは、人間が自分の都合で、勝手に決めている戯言にすぎない。
生も死も、絶えず変化しているもののある状態に過ぎない。 汚れているとか清らかだということもなく、一時の状態があるだけだ。すべてのものは生死によって、何かが増えたり減ったりすることもない。ただ変化し続けているだけだ。
以上が、いろいろ参考にしてのわがまま解釈だ。
確かに、ミクロのレベルでみれば、概ね質量不変(保存)の法則が成り立っているはずだ。
それにしても、これらを超越したところにある「命」というものは、本当に異次元かつ不可思議なものだ。
まるで不信心者の僕が、「般若心経」なんて語るのはおこがましいが、これは宗教というより哲学だな、と思うので(哲学たって、さっぱり分かりはしないのだが・・・)最近感じるところをメモしておくことにした。(つづく)
2019年 5月30日 ココ物語後日談
5月20日はココの死についてメモしたが、少しだけ後日談がある。
ココの姿が消えてからしばらく、どこで亡くなったのか、心穏やかでないものがあったが、それは解消された。
クラブハウスの玄関から数メートル、目と鼻の先の茂みに横たわっていたのだ。
穏やかな表情だった。
外ネコは、傷つくと一番安全で落ち着くところで休んで英気を養うという。
回復はしなかったが、最後に選んでくれたのがこの茂みであったことに感謝したい。 ココがここに現れた時、最初に姿を発見したのもこの場所だった。
どこで生まれたか定かではないが、僕の中では、ココは、ここで生まれてここで死んだ猫だ。
しかも夭折の天才猫だ。 今、彼は最も心安らいだその茂みで、穏やかな姿のまま眠りについている。
それを見届けたので、僕も多少は心安らいでいる。
僕自身も、現在住んでいる築93年のこの家で生まれ、途中10年くらいの長旅はあったが、おそらくこの家で死ねるだろうと思う。
ココとは違い、愛されもせず、他人の役にも立たず、夭折とはいかず、老醜を長々と晒してはいるが、日々、のんべんだらりと生きていけている。
ただそれだけで十分に幸せである。(つづく)
2019年 5月20日 ココが逝く
4月はナツの話で終わったが、今度はココの哀しい話です。
何日か空けては怪我して戻り、また空けては戻りを繰り返していたが、今回は1週間の長旅。 帰っては来たが、無事とはいかなかった。
変わり果てた姿で、命辛々という感じだった。
食欲もなく、ぐったりしていたので、やっぱり来るものが来たか・・・と悲しい気持ちが頭を過ぎったが、一縷の望みを持って見守っていた。
病院で死なせてしまったユーマのことが頭にこびりついていて、病院に行く気はなかった。 ここまで、やりたいようにやってきたので、最後までやり通してほしい、と思った。
昨夕、少し目を離した隙に、彼はどこかに消えた。死に場所を探しに行ったに違いない。
彼が此処に居候を始めたのは、まだ、よちよち歩きもままならないほどの生まれたて、といった頃だ。
それは一昨年の9月、人間なら二十歳過ぎくらいだろうか?20か月の短い命だった。 本当に頭のいい、賢い猫だった。僕はできる限り、ペットとしてではなく、一人前の隣人として接しようと思い、それが叶っていた。
実に親しい間柄になっていた。ほとんど会話が成り立つような関係だったと思う。
僕よりは後まで生きるだろうから、と思って、後のことを心配していたくらいなのに・・・
変わり果てたあの姿になっても、何とかここに辿り着いてくれたのは、最後を看取って欲しいと思ったからに違いない。ココには感謝の気持ちでいっぱいだ。
気持ちはブルーだが、明日は元気にしていようと思う。今日はココの思い出だけでおしまいにしておこう。サラバココ・・・
2019年
4月15日
夏が去る
10日ほど前、4月6日のメモに「夏が来た」と書いたが、今日15日、早くも夏が去った。
此処に来たのは3月26日だったので、わずか20日間の居候だ。
ようやく懐いてくれるようになったので、名残は惜しいが、またとない人に貰われていったので、彼女のためにはホントに良かったと思う。
2匹がコートを飛び回り、テニスの邪魔をしないか、落ち着いた気がしなかったが、その点、少しは楽になるだろう。 明日からコートの修復工事が始まる予定だが、天候不順の予報、さてどうなることとやら・・・ ナツロスはココも同じかもしれない。
ジュニアもナツは?と聞いてきた。
工事の人が入れば、少しは紛れるかな・・・ ココナツは半分に割れてしまったが、お互いに幸あれ!だ。
2019年 4月6日 夏が来た
!
前回のメモが3月6日、あれから丁度、1ヶ月経った。 この間、山桜は散り、ソメイヨシノは満開を過ぎ、コートにも花びらが乱舞している。
今日はとても温い・・・まるで初夏を思わせるような陽気だ。 だけど、それで夏が来た・・・というわけではない。
3月26日、孫の飼い猫を預かることになった。赤ちゃん猫がカラスに突かれていて、見かねて養っていたらしいが、県外に行くことになり、頼まれた。
夏に拾ってきたので、ナツと名付けたという。 1週間くらいは、顔すら見せず、隠れて過ごしていたが、4月の2日目くらいから安心したらしく、急に懐っこくなってきた。
多分、ここに住み慣れてくれるだろう。すでに、みんなに可愛がってもらっている。
ココは1年半以上居候しているが、ナツは生まれてまだ、8ケ月くらい。偶然にも、ココとナツで、ココナツとなった。
仲良く暮らしてほしいものだ。
3月中に改修して、4月から新年度のスタートを切りたかった奥のC・Dコートだが、業者の都合で4月9・10日ということになっていた。 ところが、今度は天気の都合で、15・16日に延期になった。
コートの改修は、ます薬剤を散布してコケやカビを除去し、上層部の砂を掻きだし、そこに新しく砂を投入する、というものだ。
工事の遅れも、新年度の新生活が落ち着かない時期なので、クラブの模様替えをするのにも、かえって5月くらいからの方がいいかな、とも思うようになった。
さてさて、コートがどの程度に仕上がるのか、とても楽しみではある。
ファイナル山の樹々は新緑に芽吹いている。空は紺碧、とても爽快な季節になった。
NHKの朝ドラ、4月から「なつぞら」というのが始まった。
主人公のなつは、ぼくより6歳年上。戦後のほぼ同じ時代を生きている。ドラマはまだ1度しか見ていないが、何となく懐かしさを感じる。
預かった子猫は「なつ」、今度メモしようと思っているのは、前々から気になっている「そら」。 うまく続いている。これはメモしないわけにはいかないぞ!
2019年3月6日 ちょっと3・6い(寒い)ダジャレ
春遠からじ・・・とメモして何日経っただろう、3月6日、その日がもう来てしまった。
今日こそ雨の一日だったが、最近は気候も穏やかで暖かく、春よ、いらっしゃい!って感じだ。あれっと気づいたら、ファイナルの山桜はもう咲いている。
10日くらい前だったか、夜帰りしなに、西の出口から10mも行かないところに、猿が群れていた・・・と思った。
車で通り過ぎた時、確かに猿が7~8匹いて、車が近づくとさっと山の中に消えて行った。
昼間はよく見かける場所だが、夜は初めてだ。
翌日、何人かにこの話をした。 数日後、また同じ場所に群れていたので、こんどはゆっくりゆっくり、驚かせないように車を近づけた。近づいて見ると、ちょっと白っぽい。
何だろう、と目を凝らすと、イノシシだ。若者と子供の群れだ。更に近づくと、ぐっと身を寄せて、塊になった。 「なぁんだ、イノシシだったのか!」
昼間、ここに出没する猿を何度も見た。猿は道路越しの畑で何やら獲物を獲っているらしく、畑は時折荒らされている。そんな姿を何度も見ているので、僕の頭には「猿」が刷り込まれていた。疑うこともなく猿だと思い、ちょっとだけ拡散させた。
その後会った人には訂正できるが、会わない人にはそれっきり、嘘のままだ。
一時、イノシシはまったく居なくなった、という地元の人の話を聞いたりしていて、確かに何年か、お目にかかっていなかった。
ところが最近、イノシシを見かけたことがあるし、夜の練習中に大きな鼻息や、ゴソゴソ歩き回る音も聞くし、朝、土を掻きまわした跡がいくつも残っていたりして、イノシシが増えていることも承知のことだった。
ちょっと立ち止まって考えれば、猿だと断定できるはずもない話だ。
少し大げさになったが、とかく、真実は見え辛く、先入観や思い違いに欺かれる。
このメモに度々引用してきた本の2月13日のところには可愛い菜の花の絵があり、そこには次のような文が添えられていた。
「ナノハナの匂う垣根に ホトトギスはやもき鳴きて・・・」・・・そして、菜の花がもともとはセイヨウアブラナで、手入れなどしなくても成長する・・・などと説明文が続く。
おいおい「卯の花の匂う垣根」だろう・・・ええっ、俺、間違えて覚えていたのか・・・と一瞬思ったが、垣根に菜の花はないだろう!
ネットで確認して、間違いなく卯の花。
この本は画は画家が、文はドイツ文学者でエッセイストの方が書いている。多分、偉い人に違いない。しかし、思い込みは恐ろしい。出版されればそのまま拡散する。
無論、筆者を責める気はさらさらない。 これは校正する人も気づいていたはずだが、見過ごしたのだろう。
僕らは日々、いろいろな情報を刷り込まれ、思い込み、あるいは誤りを見過ごす。 このメモにも、沢山あるに違いない。
ほとんど影響力のないメモなので罪は軽いが、それでも心しなければ・・・と、思う。
春の陽気に誘われず、老脳をいいわけにせず、しっかり物事を見極めていかねば・・・。
ところで、この「卯の花」我が家ににもあるそうだ。
クラブの山桜には気づくが、家の花木にはほとんど気づかないで過ごしていることも反省。
卯の花はオカラのこともいうが、なぜそういうのかには白いからだけでなく、諸説あるようだ。
植物名はウツギ、空木と書く。これは茎の中が空洞になっているところから付けられたという。
中央アルプスに空木岳という山がある。標高2864mの堂々たる山容の山だ。 残雪のころ、山頂付近が空木、咲き誇る{卯の花}のように見えるところから付けられたとも云われている。
ところで、この空木の空、昨年暮れにファイナルの青空の写真をこのメモの左欄に載せてから、ずっと気になっている。いずれ、そのこともメモしようと思う。
2019年 2月19日 基礎が悪いなりに何とか・・・
今日は久々のまとまった雨降り。15時半現在も降り続いている。
でも、Bコートだけは水溜まりなし。このコートだけは完璧だ。
Aコートは、ネット付近に水が少し溜まっているが、何とか使用可能な状態だ。奥のC・Dコートは全体的に水が浮いていて使い物にならない状態だ。
Bコートだけ なぜこんなに完璧なんだろう。
それは 基礎がしっかりしているからに違いない。
基礎がしっかりしていなければ 上をいくら綺麗に繕っても どうにもならない。 張り替えた当初は 4面ともみな同じに見えた。でも
しばらく経つと 全く違うコートになってしまう。その差は歴然で基礎の作りの差だ。
C・Dコートは 雨の後には、まったく使い物にならない。
古い作りの基礎で 排水が十分にできないからだ。 この差を埋めるには、下地から新規にコートを作り直すしかないが、貧乏クラブに、そんな余裕があるわけがない。できる範囲で何とかこの差を縮めようと思い、修復工事を発注することにした。
すぐに取り掛かって欲しかったのだが、業者さんの都合で、4月以降の着工となってしまった。薬品でコケやカビなどを除き、上層部の砂を掻き取って、入れ替える、というものだ。
少なくとも、見栄えは良くなるし、ボールが黒ずんでくることもなくなるだろう。当座しのぎだが、ある程度の修復はできるかもしれない。 4月からと思っていたクラブの見直しも、5月にずれ込みそうだ。ゆっくり考えて、再出発できればいいなぁ・・・。
さてさて、テニスにおける下地とは何だろうか?
テニスにとっての基礎とは
一体何だろう。 それは間違いなく体力に違いない。
体力がなければ技術もメンタルも 積み上げていくことができない。
では基礎体力の衰えた人間にとって
その上にテニスの技術などを積み上げて行くことはできないのだろうか・・・若いうちは何が何でも基礎体力をつけるべきだろう。
しかし高齢になれば そういうわけにはいかない。
頭を使いながら、体力に見合った技術を丁寧に積み上げていくしかない。丹念に取り組めば ほんの少しだとしても、技術の積み上げは可能だと思う。
我々アマチュアのテニスは勝つことが目的ではない。仲良く楽しむことが第一だ。でも上手いほど楽しめるし、仲間も増える。プロでない限り、プロを目指しているのでない限り、テニスは楽しみである。
今日のテニスが最高! といいながら、大いなる草テニスに邁進しようではありませんか・・・。
メモしているうちに16時、雨は上ったようだ。雨のおかげで、どこに水溜まりができるか再確認できた。カメラに収めて修復時の資料にしよう・・・明日は晴れ、気分を直して さぁ出発!
2019年
2月11日 「ゆとり教育」
と 「円周率」
昨日は木花でジュニアの大会が、生目で大人の大会。
気温は低いけど、まずまずの大会日和で良かったですね。 そのせいか、朝、コートに着くと人影なし。でも早速ココちゃんがお出迎え。
しばらくお茶しながら、ゆるりと音楽を楽しんだ。
午後からは負け組も参加して、少し賑やかに・・・
ここのところ、政治がらみや社会問題には触れずに過ごしてきたが、ちょっとだけメモしておこうと思う。
それは、「この種の問題に触れないでおこう」と思ったことと関係しているからだ。
いろいろメモってはみたものの、その根拠となる情報を、僕がどれだけ知り得ているのか、まったく自信がなかったからだ。
マスコミやネットや書物で得る情報に、どれだけの信頼性があるのか・・・・。
科学的なものなら、今ではそれらはすべて仮説に基づいてなされた説明である、ということが自明の理になっているが、社会現象に関しては、一応、誰でもが見聞きできるような錯覚があり、いろいろな情報が飛び交い、独り歩きし、大きな声が真実のような顔をする。
今回の厚労省をはじめとする統計不正処理問題で、これを根拠にはじき出されたいろいろな数字や提起が、その根底が崩れたことによって、論拠を失うこととなった。
それは、ある意味、良かったと思えなくもない。 マスコミ、その他の統計も、概ねこういった程度のものだ。だから、それを根拠にものをいう場合は、その根拠は仮説にすぎないものとして扱う必要がある、ということを気付かせてくれたからだ。
科学的な仮説は、それまで積み上げられてきた検証があるが、社会的な現象に関しては、曖昧である。だから、「この統計が正しいという仮説に立てば・・・」などと、ことわっておく必要がある。
僕らが若い頃、「スウェーデンなど、生活や老後に心配のない豊かな福祉国家は自殺が多い」という統計結果を示されたことがあった。
ある程度の不安があった方が、緊張感もあり、自殺も少なくなる・・・といった論調が出回っていた。
しかし、その統計は正確なものではなく、北欧諸国の自殺率が、特別高いものではない、というのが本当のところだと分かった。結果、多くの論者がその根拠を失ったことになる。
よくよく考えてみれば、自殺率なんて、正確にはじき出されるわけがない。親戚などは、できれば事故死にしておきたい、と思うだろうし、宗教的に自殺を禁じている国、自殺率を下げる政策を遂行している国などは、できるだけ自殺と認定しない方向になるだろう。
正確な実態はつかめないだろうと思う。一応の参考程度の資料にしておくべきものだと思う。
統計という確固たる数字と、政府という権威が、見る目を誤らせる。 以前、子供たちを教える仕事をしていたことがあるが、どんなに見え透いた嘘を言っても、子供たちは簡単に信じてしまう。
例えば、「円周率は3.14と言われているが、東大の数学研究室で計算し直した結果、3.15に近いことが分かったそうです」といったあと、10分後くらいに 直径10センチの円周は何センチか?という設問をすれば、全員、31.5センチ、と答える。
それまで教えられていたことと違うのに、何の疑いもない。無論、すぐに訂正しておいたが・・・。
だいたい円周率なんて難しくて、3でも3.14でも、実用上はたいして問題にならない。少数の掛け算の練習になるのが関の山だ。
昨年末、テレビで「ゆとり教育」が転換された経緯を取り上げていた。長野のある小学校が教育現場として登場したのだが、校長として現れたのが、僕の東京時代に親しかった友人だったので、思わず最後まで見てしまった。
「ゆとり教育」に危機感をもったある大手の塾が、円周率は3でいいのか?」という広告を電車の中吊りなどに大々的に打ち、それを契機に週刊誌、新聞などで徹底的に反ゆとりキャンペーンが巻き起こった。
そしてこの文教政策は転換していくことになった。 始めたのも文部省、終わらせたのも文部省。現場の声が反映されることはなかった。
友人の取り組みは山羊や鶏などを飼育し、そこから命の営みを学び取っていく、などの楽し気なものだった。そこに映し出された子供たちの姿は、実に生き生きとしていた。
友人が、こういう地道な教育に取り組んでいたのかと初めて知って、感銘を受けたのだが、先生たちも大変だっただろうな・・・と同情もした。
円周率というのは、僕にとっては魔法のような無理数で、今だに無理な数字である。アルキメデス由来の外接・内接する正多角形から近似値を求めるような帰納法的な推論の仕方だったら、子供たちには理解しやすいのではないかと思うのだが・・・。
それでいうと、円周率3では、内接正6角形の周りの長さと同じになるので、もう少し広げて、それよりは少し長くなるところまで進めれば上出来だと思う。
なぜ、そうなるのかを理解することが大切で、それをやろうとしたのが「ゆとり教育」なのだと思う。とにかく3.14だ、計算は微積分を習ってからでいい・・・という方が、はるかに楽だが、疑問を置いてきぼりにしてしまう。
ちょっと深入りしてしまった。とにかく2000年以上も前のアルキメデス先生、正96角形まで広げて、3.14という数値を得ている。今のような数字も少数もない時代にである。
本当に偉大だなぁ・・・。
現在でも、円周率はスーパーコンピューターの演算能力のテストになるくらい厄介なものだ。いろいろな計算式が考案され、これに取りつかれた数学者も多い。
現時点での世界記録は12兆1000億ケタまで出ているらしい。長野の会社員、近藤茂さんとアメリカの数学研究者アレクサンダー・Jさんの共同作業で、近藤さんが自作のコンピューターを使い、アレクサンダーさんの数式を用いて計算したらしい。
12.1兆桁という途方もない数は、もし、1字を1cmのマス目に書いて繋げていくと、ちょっと計算してみたら、地球を3000周もする長さになる。
円周率一つをとってみても、この世界は不思議の山に囲まれている。学習の材料には事欠かないが、そこを深堀する学習は、なかなか育たない。 急ぎ過ぎである。ゆっくりと、しっかりと理解しながら、少しずつ進めばいいのにな、そうすれば楽しいのにな・・・
2019年 1月29日
後期高齢2年生に進級
今日、76歳になりました。まだテニスができるので、おめでたいことです。
27日の日曜日に、朝の練習会の皆様に、自宅近くの居酒屋さんで、祝っていただきました。 僕は今年初めての飲み会でしたが、十数名集い、楽しい話で盛り上がりました。とてもありがたいことでした。
お骨折りいただいた幹事さん、お集まりいただいたメンバーの方々、感謝しております。
翌朝の月曜の練習会は風も強く、寒くてとてもテニス日和とは言えない天気でしたが、それでも数名、飲み会翌日にもかかわらず練習に見えました。
今日は打って変わって風穏やかで陽射しもあり、テニスにはもってこいの天気。たくさんの参加者がありましたので、急遽、4面使ってのダブルストーナメントに切り替えました。
日頃の4ゲーム先取というショートゲームではなく、1セットマッチで試合らしくやりました。僕も一緒に参加し、全部で6セットほどしました。その後ジュニアの練習があり、今日はこれで閉店です。少しも疲れておりません。
もう少しは頑張るつもりですので、今後とも、どうぞよろしくお願いします。
2019年 1月26日 生死の分かれ目は・・・
昨年の大晦日、「皆さんに感謝しながら、なるべく元気に新しい年を迎えようと思う。」というメモ で締めくくったが、早いもので、もう、26日が過ぎた。
連日の晴天で暖かく、テニスにはもってこいの年明け。おかげで、元気に年明けを迎えられた。
去年からのつづきでいうと、11月中旬頃、前の道端に垂れ下がっていた柿の小枝に、小さな柿の実がなっていて、これは可愛いな、と思い、一枝拝借した。一輪挿しに放り込んでいたこの小枝、今日現在も生き残っている。
元々、5センチ足らずの小さな実が、更に萎んで皺くちゃになり、そのまま2個、4枚の枯葉と共に鎮座している。なかなか渋いオブジェである。
自分の姿を見ているようでもあり、ちょっと愛おしくもあり捨てがたい。 ずっとこのままにして、どうなっていくのか見届けようと思っている。
どの状態が死んだといえるのだろうか? 少なくとも僕の中では、今、まだ生き残っている。
さて、今、チェコのペトラ・クビトバと大阪なおみの全豪決勝が始まった。不幸な怪我から見事にカムバックしたクビトバにも頑張ってほしい。
勢いがある二人ともに、決勝にふさわしい見ごたえのある戦いをしてほしい。 そして夢の後には勝者も敗者も共に讃えたいと思う。